エアバスA380生産終了へ 「欧州産業界の夢」はなぜ失速したか
転落
内部関係者によると、A380の転落の芽は、2005年の披露式典の時にすでにあったという。
公の場では統一が強調されたが、A380製造という大仕事は、やがて独仏の協力関係に入ったヒビを露呈させ、同機の生産体制を揺るがした。
納入が遅れ、ようやく2007年に就航したが、その時すでに世界金融危機の前兆が出始めていた。規模や上質さはもはや必要とされず、売り上げが減速した。
それと並行し、A380の巨大エンジンを開発し、その後10年は効率性でこれを上回るエンジンは造れないと約束していたエンジン製造会社が、次世代の双発機用により効率の良いエンジンの開発を進め、A380と競合するようになった。
さらに、A380が新たな投資と販売のテコ入れを必要としていたまさにそのタイミングで、不安になったエアバス経営陣が、価格を上げ利益を出すよう要求し始めたと、複数の内部関係者は明かす。
「3重の打撃だった」と、社内の議論を知る人物は語る。
需要が安定しない中、マーケティング戦略も迷走した。最初はシャワーを備えた高級路線で売り出し、その後、「A380で、地球を救う」という救世主的なスローガンで環境への負荷が少ないことをアピールしたかと思えば、最後には座席数を増やしてコストを削減する路線に切り替えた。
一方のボーイングは、やはり根深い問題を内部に抱えつつも、新中型機「787ドリームライナー」で競争を制しつつあった。A380が就航するハブ空港を通り越して、比較的中規模の都市間を結ぶ「ポイント・トゥ・ポイント」路線を推奨する戦略に沿って開発された機種だ。
エアバス側は、それでもメガ都市間の路線が主流になるとして反撃した。
だが経済成長は、エアバスが予期せぬ形で「分散」した。 経済協力開発機構(OECD)の2018年の調査によると、中規模都市が巨大都市の倍近い成長を遂げていた。
これは、ボーイング787や777、またエアバスのA350といった双発機には追い風となる。A350は、A380の3倍売れている。
もともとA380を熱心に支持していなかったとされるエアバスのトム・エンダース最高経営責任者(CEO)は、2年ほど前に生産中止を考えたが、最後のチャンスを与えるよう説得された。
だが、生命線となっていたエミレーツからの最新の受注が、エンジンに関する交渉がまとまらず、時間切れとなった。
「エアバスはA380のことを旗艦機として見がちだが、エンダースCEOには受注不足しか目に入らない」と、ドイツ出身で、4月に退任するエンダース氏に近い人物は語る。