「拉致被害者は生きている!」──北で「拉致講義」を受けた李英和教授が証言
1977年、13歳のときに北朝鮮に拉致された横田めぐみを待ち続ける母、横田早咲江 Kim Kyung-Hoon-REUTERS
1991年に北朝鮮で「拉致講義」を受けた李教授が「拉致被害者は生きている!」と証言。その講義内容と当時の日本政府の対応から、日朝首脳会談に対する日本の心構えを考察する。日本は拉致問題「満額回答」を手にしなければならない。
金丸訪朝効果で北朝鮮に留学
現在、関西大学経済学部の教授(北朝鮮社会経済論)をしておられる李英和(リ・ヨンファ)氏は、まだ同大学の専任講師だった1991年4月(~9月)に北朝鮮の朝鮮社会科学院に短期留学をした。
1990年9月26日、自民党の金丸信氏(当時、副総理)を代表とする訪朝団が金日成(キム・イルソン)主席と会い、もう一歩で日朝国交正常化にたどり着くところだった。
実は韓国は1990年9月末に旧ソ連との国交を樹立している。新思考外交を打ち出したゴルバチョフ書記長の登場により1988年のソウルオリンピックに旧ソ連は代表団選手を送り、55個も金メダルを獲得して総合1位となった。この辺りから北朝鮮は北東アジアにおける孤立化を恐れ、日本との国交正常化に活路を見いだそうとしていたということができよう。
そのような流れの中で李英和氏に北朝鮮留学のチャンスが巡ってきたのである。偶然にも関西大学では1年間の在外研究の順番が回ってきたので、李英和氏は欧米を希望せず、北朝鮮を希望してみたという。留学というよりは訪問学者の短期研修なのだが、分かりやすいので短期留学という言葉を使う。
本来なら北朝鮮から許可が下りるはずもなかったが、金丸訪朝の効果は大きく、朝鮮社会科学院に留学することが叶った。当時、「北朝鮮留学第1号」として毎日新聞が大きく報道(以後、第2号はいないので、彼が唯一である)。
しかし北朝鮮に入国してみると、あまりに極端な個人崇拝や監視社会の実態、あるいは庶民生活の経済破綻を知るに及び、北朝鮮に激しく失望したという。
危険を冒して反体制の知識人と接触したりしたので、日本に帰国するときには、万一にも拘束されたり暗殺されたりしないように、命の保険のために毎日新聞に依頼して、再度、帰国を大きく扱ってもらったとのこと。
帰国前に受けた「拉致講義」の内容
朝鮮社会科学院の教官は92年11月、李英和氏の日本帰国予定の約1ヶ月前に、突然「拉致講義」をすると言ってきた。ということは「日本に帰って、話してもいい」と理解した。教官は監視兼世話役の朝鮮社会科学院准博士。工作機関からの指示であることは明らかだった。