「戦争の記憶」のその先にある未来への責任(コロンビア大学特別講義)
Newsweek Japan
<なぜ今、第2次世界大戦の「記憶」について学ぶのか。全4回の連続講義を終えて、米コロンビア大学のキャロル・グラック教授が学生たちと導き出した未来への教訓とは? 本誌3月27日発売最新号「歴史への責任」特集より>
17年11月に始まった全4回のコロンビア大学特別講義は、2月13日開催の最終回(本号掲載)をもって終了した。本誌が講義を依頼したキャロル・グラック教授(写真)は、数十年前からさまざまな国の「戦争の記憶」について研究し続けてきた。グラックはなぜ、「歴史的事実」と「記憶」を分けて考え、理解することが重要だと考えるのか。第二次世界大戦の記憶が問い掛ける、未来に対する責任とは何か。全4回の講義を終えて、本誌ニューヨーク支局の小暮聡子が話を聞いた。
【参考記事】コロンビア大学特別講義・第1回より:
歴史問題はなぜ解決しないか
「歴史」とは、「記憶」とは何か
歴史と向き合わずに和解はできるのか
【参考記事】コロンビア大学特別講義・第2回より:
メディアが単独で戦争の記憶をつくるのではない
【参考記事】コロンビア大学特別講義・第3回より:
慰安婦像が世界各地に増え続けるのはなぜか
――講義の中で、原爆投下は道義的に正しいかどうかを疑問視する視点があるにもかかわらず、アメリカではそれを正当化する物語が支配的であり続けたと言っていた。なぜなのか。
これまでに話してきたように、ある国の戦争の物語というのは長く生き続けることが多い。その筋書きが歴史的事実を正確に伝えるにはシンプル過ぎる白黒物語であったとしても、変わりにくいと言える。多くの日本人は今でも、「太平洋戦争」というと、その4年前の37年7月に始まっていた中国との戦争というより、真珠湾攻撃からヒロシマと降伏までを思い浮かべる。このシリーズの第1回と4回の表紙もその例だろう。
ほとんどのアメリカ人は第二次世界大戦を、ナチスの巨悪と日本の軍事的侵略に対して戦った「よい戦争」だと考えている。こうした物語は早い時期から今まで、共通の記憶の中に定着してきた。原爆についても、アメリカ人が「戦争を終わらせ、アメリカ人の命を救った」ものと記憶している一方で、日本人にとっては「戦後の平和への使命」を与えたものとして長い間語られてきた。
この2つの物語が変わることがなかったのは、戦後の歴史的背景、つまり平和で豊かな日本、日米同盟、核戦争の恐怖などがそれを支えてきたからかもしれない。
道義的な疑問に関しては、無差別かつ大量に一般市民を殺すという意味で、原爆だけでなく地域爆撃にも当てはまるだろう。しかし、核の脅威が増している現在は、原爆についてその教訓を記憶するだけではなく、原爆がどういう状況でなぜ開発されて使用されたのかという、歴史的事実を理解することが重要だろう。そうしないと、また繰り返されるかもしれない。
――これまで数十年もの間、「戦争の記憶」について研究してきた動機について教えてほしい。そもそもなぜこのテーマに取り組もうと思ったのか。
私が第二次世界大戦の記憶をテーマに選んだというより、私がこのテーマに選ばれたように思う。南京虐殺から50周年の87年、真珠湾攻撃から50周年の91年、戦後50周年の95年、戦後70周年の2015年と、節目の年が次から次へとやって来た。歴史家として過去の戦争について発言を求められるたびに、さまざまな国で戦争の記憶が歴史的事実を歪曲したり無視したりしていることに気付いた。つまりこれは、「いい記憶、悪い歴史」だと。
こうした考えから、戦争の記憶が世界の国々でどのように作られ、変化するのかを研究し始めた。共通の記憶がどのように作用するのかを理解することは、「いい記憶、いい歴史」の方向に変えていこうとする試みの第一歩だと思ったからだ。これまでの試みはあまり成功してきているとは言えないが、今後も諦めるつもりはない。