最新記事

ノーベル文学賞

カズオ・イシグロをさがして

2017年10月14日(土)13時15分
コリン・ジョイス(ジャーナリスト)

読者は微妙なヒントを通じて、自分で真実を発見したと感じる Toby Melville-REUTERS

<『浮世の画家』『日の名残り』『わたしを離さないで』......ノーベル文学賞に決まった日系イギリス人作家の独自の感性と表現>

私も含めてカズオ・イシグロのファンの厄介な傾向は、この作家と作品についての自分なりの「発見」を語らずにはいられないことだ。

それには理由がある。しっかりした語り口のイシグロの小説を読むと、「私に向けて直接語り掛けられている」と思いたくなる。それに、小説内にちりばめられた微妙なヒントや奇妙な出来事を通じて、読者は自分で真実を「発見」したと感じさせられるのだ。

私が初めてイシグロの小説と出合ったのは90年。オックスフォード大学の書店で、『浮世の画家』(以下、邦訳は全て早川書房刊)を手に取った。日本の名前を持ったイギリス人作家が日本を舞台に書いた小説、という点に興味を引かれた。

3日で読み終え、次の休暇中にも再読した。数年後、初めて日本語で読もうと思った小説もこの作品の日本語訳だった。英語で読んだことがあるし、少なくとも舞台は日本だから......と思ったのだ。

しかし、ここに描かれている日本は、著者自身も述べているように「想像上の日本」だ。5歳で日本を離れたイシグロは、外からの目と子供時代の遠い記憶と旺盛な想像力を通じてしか日本を知らない。

『浮世の画家』には、イシグロの小説が高い評価を受けている要素の多くが詰まっている。文学用語で言う「信頼できない語り手」の使い方は特に巧みだ。

読者の想像力を刺激する

読者は、小野という画家の視点で物語の世界を見るが、それを真に受けてはならないらしいと勘づき始める。重要な出来事の記憶があやふや過ぎるのだ。単に記憶違いをしているのか、自分自身を欺こうとしているのか。あるいは、読者やほかの人たちをだまそうとしているのか。

こうしてイシグロは読者に、自分の記憶を本当に信用できるのか、「自己」とは何なのかを改めて考えさせる。人の自我は不変のもので、過去は揺るぎない事実だと思われがちだが、実はそうとは限らない。

私は『浮世の画家』に感銘を受けたが、きっとこれが1作限りの傑作なのではないかとも思っていた。「日本生まれのイギリス人」という出自を生かしたエキゾチックな作品を、そう何度も書くわけにはいかない。

しかし、『日の名残り』を読んで、自分がいかにこの作家を過小評価していたかを知った。イシグロには、エキゾチシズムの助けなど要らなかった。『日の名残り』は、イギリス人でなければ書けないと思えるくらい、イギリス的な文学だ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

仏当局、ディープシークに質問へ プライバシー保護巡

ビジネス

ECB総裁、チェコ中銀の「外貨準備にビットコイン」

ビジネス

米マスターカード、第4四半期利益が予想上回る 年末

ワールド

米首都近郊の旅客機と軍ヘリの空中衝突、空域運用の課
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 8
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 9
    トランプのウクライナ戦争終結案、リーク情報が本当…
  • 10
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 3
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 4
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 5
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 10
    日鉄「逆転勝利」のチャンスはここにあり――アメリカ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 6
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 7
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 8
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 9
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 10
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中