「共謀罪法」がイスラモフォビアを生まないか
イスラム教徒への不信感につながる可能性
何より注目しなければならないのは、共謀罪の立件とその手法である。共謀罪法を導入している他の国の例を見ても、その捜査手法こそ、問題の焦点となっている。つまり、証拠収集のいかんで立件が可能となるのかならないのかということだ。そのため、おとり捜査など「手段を問わない」証拠収集の手法という問題がきっと出てくるだろう。
実際にはこの法律が成立する以前から、中東・イスラム地域出身の留学生などを狙った「おとり捜査」のような捜査の話は耳にしてきた。イスラム教徒がよく通う場所を警察が監視するのももはや当たり前のこととなっている。
「監視だけならまだいいですよ。ヨーロッパだったら、もっとひどい扱いをされていたかもしれない。ただ心配なのは、イスラモフォビアですよ。今は世界中のイスラム教徒のほとんどが、自分に向けられた偏見と差別を感じている」と、世界情勢の変化と社会からの疎外感について不安を口にするイスラム教徒がいる。
治安維持を名目にしたイスラム教徒への監視は、もはや避けられない現実だろう。しかし社会の安全を守るという名目で、狙った相手の元にスパイを送り込んだり、傍受したりするような捜査が拡大すれば、お互いに信頼できず、不信感に満ちた社会になる。そして他の国と同じように、イスラモフォビアの広がりに伴うヘイトスピーチやヘイトクライムなどに拍車をかけることにもなりかねない。
怖いのは、「イスラム教徒=警戒すべき対象=過激派=監視」と一般の人が短絡的に捉えているように感じられること。欧州のようなイスラモフォビアではないものの、日本社会にイスラムは怖いという雰囲気が浸透していることは事実だ。2年半前にシリアで起きた日本人の人質殺害事件など、ISIS(自称イスラム国)の非道な行為によってもたらされたイメージは現在も進行中である。
【参考記事】共謀罪法案、国会論戦で進まない対象犯罪の精査
気がつけば、私が日本に来てから今年で21年目になる。その間、イスラム教徒という理由で嫌な思いをさせられたことは一度もない。多様性を認める寛容な日本社会のおかげである。一方、互いの偏見や誤解、ステレオタイプといった障壁によって対立が蔓延する国際社会では、中東・イスラム地域に対する誤解や偏見が拡大しており、逆にイスラム地域の人々の日本に対する期待と関心が高まっている。
日本とイスラム世界が迎えた21世紀は、単なる20世紀の延長ではない。過去・ 現在・未来を同時に生きなければならない、「複合の世紀」だ。そして過去の限定的な関係に学びながらも、地平線の向こうに明るい未来を見通し、互いの監視や恐怖で安全な社会を作ろうとすることがいかに不毛であるかを、時間をかけて訴え続ける以外に道はない。
【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学・国際教育センター准教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。