トルコで最も強力な実権型大統領が誕生する意味
トルコ政治史における実権的大統領制の意義
それでは次に、トルコ政治史における実権的大統領制について考えてみよう。建国の父であるムスタファ・ケマルは一党独裁期の大統領として新生トルコを牽引した。ムスタファ・ケマルの出身政党である共和人民党の一党独裁であったため、非常に強い権限を有していたが、執政制度は議院内閣制であった。
ケマル以外に強い大統領と言えたのが、1983年から89年まで首相、89年から93年の急死まで大統領を務めたトゥルグット・オザルである。オザルも大統領に選出された89年10月から91年10月まで出身政党の祖国党が与党であったため、権力行使が容易であった。特に1990年8月から91年3月にかけての湾岸危機において、オザルは独断で多国籍軍と協力する方針を固めた(今井宏平『中東秩序をめぐる現代トルコ外交』参照)。しかし、これに対して外務大臣、国防大臣、統合参謀総長が相次いで辞任する事態となった。結局、91年10月に祖国党が野党となり、オザルの権力は低下した。
2014年8月から大統領制に移行するまでのエルドアン大統領も出身政党の公正発展党が単独与党の座を失った2015年6月から11月までの期間を除き、強い権力を保持している。
このように、クーデタ後の軍政期を除き、ケマル、オザル、エルドアンは大統領として強い権限を有していた。しかし、執政制度は議院内閣制であったため、彼らはあくまで「大統領化」した大統領であった。よって、大統領制に基づき、行政権を持つ実権的な大統領となるエルドアンは制度上、最も強力な権力行使が可能となる。
正当性を高められるかは移行期が鍵
制度上はトルコ共和国史上、最も強い大統領となるエルドアンであるが、政治運営はまた別の次元の話である。予想以上の苦戦を強いられ、僅差で勝利したこともあり、大統領制までの移行期、および大統領制に移行する2019年11月以降、当面は慎重な政治運営を行う可能性もある。強大な権力をいかに自制できるかがエルドアンをはじめ、今後の大統領に求められるだろう。
今後懸念されるのは、大規模テロの発生と、EU諸国との軋轢の深まりである。「イスラーム国(IS)」やクルディスタン労働者党(PKK)とのつながりが疑われる「クルディスタン自由の鷹(TAK)」は、国民投票前のテロは大統領制の実現に利するとして自制していたと見られており、国民投票が終わったことで再び活動を活発化する可能性がある。
また、国民投票のキャンペーンをめぐり、トルコとの関係が悪化したEU諸国は大統領制の実現を快く思っていないのは確かである。
国民投票後にエルドアン大統領が死刑の復活について言及するなど、すでにトルコとEU諸国との間では火花が散っているが、EU諸国はトルコによって難民の流入が防がれていることもあり、緊張が過度に高まるのは避けるだろう。特にEUの盟主であるドイツは9月に選挙を控えており、ナショナリストを刺激しないためにも難民の抑制は不可欠である。
大統領制が正式に施行される2019年11月までの間、国民投票で生じた国内の亀裂、そして欧州との亀裂を修復させ、テロを防ぎ国内の治安を確保することができれば、実権的大統領制の正当性は高まるだろう。
参考文献
・岩崎正洋『比較政治学入門』勁草書房、2015年。
・粕谷裕子『比較政治学』ミネルヴァ書房、2014年。
・建林正彦・曽我謙吾・待鳥聡史『比較政治制度論』有斐閣、2008年。