最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(フィリピン編3)

昭和30年代のようなマニラのスラムの路地

2017年2月16日(木)15時30分
いとうせいこう

スラムへ

さて、ブリーフィングが終わると、まさにそのタイミングでオフィスのフィリピン女性が飛び出してきて、俺にスタッフの電話一覧表をくれた。話が済むのを陰でじっと待っていたらしい。

彼女は「日本で有名な作家さんなんですよね?」と俺に微笑みかけながら言った。「そんなことないですよ」と答えると、彼女は「いえいえ知ってます。あたし、ネットで調べたんですよ」と恥ずかしげに、しかし人懐っこく言う。そうした気遣いの細かさに、俺は自分が小さな頃の日本と同じものがあると感じた。俺たちが失っている雰囲気を、彼女は持っていたのである。

あれやこれやが完了して、俺たちはジェームス、ロセル、そして現地スタッフのくりくりした目のフィリピン人男性(健康教育担当スタッフのジュニー・アベラジュニ)と共に、バンに乗り込んだ。

車が発進してすぐ、右側に芝生の美しい公園が見え、スペイン建築らしきものが確認出来た。それがイントラムロスという観光地で、左の海岸手前にも芝生の一帯があった。実際に中国からの観光客だろうと思われる団体がバスから降りていた。

ところが、公園地帯を過ぎて川を橋で渡ると、すぐに掘っ立て小屋の連続になった。左側には巨大なトラックのタイヤが積まれ、その脇に大量の土砂とゴミが山になっていた。ところがそれはゴミ置き場ではなかった。後ろ側に崩れた木造の家々があり、人が歩き回っている。男は上半身裸が多かった。うろうろする幼児の中には丸裸もいた。

気がつけば、道路の中央分離帯にも女性が数人いて横になって眠っていた。彼女たちのすぐ横をトラックが往来していた。

スラム地帯はきれいな観光地の隣に広がっていて、行けども行けども終わる様子がなかった。あまりに即座に景色が変わったので、感慨の持ちようがなかった。スラムを抜けたなら気持ちのまとめようもあったろうが、木造の半ば潰れかけた小屋や、建て増ししていびつになった家、からまる電線はいつまでも続くのだ。やがて、それらの間に人が通れるかどうかの道があり、奥にずっと小屋が並んでいるのがわかってきた。

とんでもない密集度で人が暮らしていた。

と、そういえば自分がスラムのどの地点へ行くのかを俺は把握していないのに気づいた。

一体俺は何をしているのか。

目の前の状況を客観化出来ず、そこに援助が届く気もしなかった。ただただ手のつけようもない貧困がそこにあり、おそらく車で別方向に20分も行けばマカティという超バブルなビル群のある地域なのだった。差は歴然とし過ぎていて、かえって不明瞭な気がした。すべてがあまりに露骨だった。

バンが右折し、狭い道の中に入った。

屋台があり、子供たちが走り、大人はこちらをじっと見ていた。頭上に電線が行き来していた。

そうやって実際にスラム内に入ると、俺は視界に飛び込む光景を懐かしいと感じた。自分が育った昭和30年代の東京も、ほとんどそんな雰囲気だったのだ。俺の家それ自体、壊れそうな木材とトタンで出来ていた。

車が止まった。

ジュニーがまず降り、ジェームスも巨体を揺らして黙って続いた。ロセルもあとを追い、俺も谷口さんもそうした。スラムに音は少なかった。静かな横丁だった。

0215ito2.jpg

現地団体リカーンのオフィス

ひとつ3階建てだったか、広めの家があった。向かいにもスペイン風の別荘めいたものがあったから、スラムでもすべてが一様に貧しいわけではなさそうだった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご

ワールド

中国、EU産ブランデーの反ダンピング調査を再延長
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中