あまりに知らないスラムのこと
この"ご近所"という感覚をどうとらえるかとまどったが、のちの説明をまとめると、フィリピンにはもともと「村」のような自治組織があり、とはいえ悪名高いマルコス大統領治政下でそれは体系づけられたのだった。マルコス以前にあった「バリオ」という仕組みを新しく利用したのである。
ただ、"村のような"と言っても血筋や出身地とはまるで関係がなく、今でもバランガイには「南から流入してくる移民が参加する」のだというから、日本の俺たちにも理解しにくい。第二次世界大戦時の「隣組」のようなものかもしれない。フィリピン全土で5万を超えるバランガイがあり、それぞれの長が選出されているというからまさに自治のシステムのようだ。
そうしたバランガイがひしめきあうようにしてトンド地区は成り立っている。ちなみに貧しさのシンボルともなっていたスモーキーマウンテンというゴミ集積場は、このトンドの中にかつてあった。しかもトンドは中国人移民によって王国が建てられたあとに出来ている(「東都」と書いてトンドと読んだ)から、中国→ブルネイ→スペイン→アメリカと支配者が替わり続けてきた複雑な場所でもある。
さて、その歴史の屈折した、スラムの多いトンド地区で、MSFは『リプロダクティブ・ヘルスに関わるミッション』を始めているのだった。くわしくはこのあとジェームスに講義をしてもらうことにして、活動責任者ジョーダンから直接伝えられた取材における注意事項を先に書いておきたい。
まず、スラム地区の人々は今神経質になっている、とジョーダンは言った。なぜならドゥテルテ大統領の麻薬撲滅政策によって満足な調査なく人が処刑されてしまうからで、「夜楽しく別れた者が朝には逮捕拘留されていることなど日常茶飯事だからだ」。
「しかしセイコー」
ジョーダンは滞在中、こうして何度も俺の名前を親しく呼んでくれたものだ。
「スタッフにも住人にも政治の話は聞かない方がいい。彼らを窮地に追いやる危険があるからね。その上、もし彼らが微笑んで穏やかに答えていても、それが本音とは限らない。彼らは優しく感情を隠すんだよ。それが礼儀だと彼らは考えている」
これには谷口さんからもコメントがあった。
「とっても日本人に似てますね」
「そう、君たちに似ている。そしてセイコー」
「はい」
「写真にも気をつけて欲しい。彼らはどんどん人を紹介してくれるし、写真を撮るように促しさえする。けれど彼らの好意に甘えていると彼らに危険が及んでしまう」
俺は取材が急に剣呑なものになるのを感じ、思わず息を止めたままジョーダンの注意を受け入れた。
「それに我々は政治を変えようとしてここに来ているわけではないんだ。それは彼らの問題であって、我々が行うのはあくまで医療不足を埋める方法を提示することだけだから」
青いシャツの奥にジョーダンのよく鍛えられた胸と腹の筋肉があるのがわかった。にこやかで親しげで頭脳明晰なジョーダンは、肉体だけでなく倫理的にも自己をよくトレーニングしており、その上で冷静に日々のミッションをこなしているのだった。
さて、俺たちは別部屋にいるケニア人ジェームスからさらに短い説明を受けて、午前が終わらないうちに実際にスラムの中での活動を見に行くことになる。
ごくごく母国に近いフィリピンのことを何もわかっていなかった俺は、このあと混乱気味のまま広い貧困地区へ足を踏み入れるわけだ。
続く
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。