あまりに知らないスラムのこと
なぜMSFが都市部にいるのか
元来MSFは度々フィリピンの災害時に出動をしていたのだ、とジョーダンは話し始めた。それは1987年に始まり、数度の地震や津波被害への緊急救助活動を経て、ミッションは2013年の台風30号ハイエンの時にも及んだという。この未曾有の被害を生んだ台風では日本からも1000人を超える自衛隊員が派遣されたから記憶に新しいだろう。被害は深刻なものだったし、治安が悪化して武装集団と治安部隊との銃撃戦も起こった。ちなみにMSFの初動に関する日本人スタッフのインタビューがこちらだ。
このミッション時、MSFはフィリピンに「錨を置いて」活動する必要があるんじゃないか、と考えたのだとジョーダンは言った。この考えが彼らにとって相当に特異であることは、たった2度の取材しかしていない俺にもわかった。MSFと言えば、"災害や紛争があればすかさず現地入りする組織"として有名だからである。
彼らは先進国や新興国(中所得国)での災害の場合、風のように現れて、風のように去るのが通常なのであって、それも特に発祥の地パリにオペレーション・センターを置く、"緊急"援助にひときわこだわりのあるOCPが、「錨を置いて活動する」必要性を感じるというのはきわめて変わったことなのだ。
では彼らはフィリピンの何に継続的な援助があるべきだと結論づけたのか。
「理由がトンド地区だ」
活動責任者ジョーダンは立ち上がり、入り口近くの壁に貼られた地図に近づいた。
「我々がいるのはここ」
俺も谷口さんも、それどころかロセルも地図に急いで寄っていった。ジョーダンがペンの先で示しているのは地図の南だ。
「そしてトンドがここ」
ジョーダンはペンでくるりと輪を描くようにした。
それはパシッグという川の北にある、およそ9キロ平方のゾーンだった。
「ここがおおむねスラムとなっている。我々の活動はこのスラムへの援助だ」
ジョーダンの話ではトンドに60万人が住んでいるとのことだった。最初は広い地区だと思っていたが、頭の中で人の数を割り当てていくと3キロ平方に20万。およそ1キロ平方に7万人。
「過密で、しかも人々は貧困に苦しんでいる」
だからこそ医療不足も暴力もそこにあり、しかもその地区が都市の内部に抱え込まれてあることが事態を複雑にしていた。
そもそも、地図の中のパッシグ川のすぐ下は有名な観光地だった。そこにはスペイン占領時の最初の要塞があったはずだ。緑色が事実、地図にも広がっていた。芝生が美しい公園のような場所に違いなかった。
「だが、そこにも」
ジョーダンは観光地イントラムロスの西に打たれたピンク色の丸印を示した。
「人口密集地がある」
なんのことかと思う我々の前で、ジョーダンは地図の一番上を見るように言った。
そこには6つに色分けされた丸があり、右側に数字が書かれていた。説明上手な活動責任者の言葉によると、数字は世帯の数だった。同じような面積でも下に行けば行くほど過密であり、ピンクなら最大1600世帯ほど。さらに灰色だと3200世帯かそれ以上だという。一世帯に4人としてもおよそ1万人がきわめて狭い区域に住んでいることになる。
「えっと......」
と俺は不意に始まったスラムへの認識をさらに明確にすべく質問をした。
「となると、それぞれ色分けされた丸の中に書いてある数字は?」
地図には点々と細かく丸が印刷され、各々に3ケタの数字が振られていた。それが何百とある。
「バランガイ」
即答がジョーダンのものだったか、背後にいるロセルからのものだったか覚えていない。ともかく不覚にもその言葉を俺は知らなかった。
「バランガイ?」
「そう」
「何ですか、それは?」
そう言うと、ジョーダンは向き直って答えた。
「うーん、そうだな。つまりネイバーフッド」
「ネイバーフッド?」
「そう」