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アート変革はいかに受容されたか? 「日本におけるキュビスム」展はまるで推理小説
「我が国最初のキュビスト」として取り上げられる東郷。しかし、パリ留学を果たした彼の作品には、未来派のイメージも色濃く混在しています。 東郷青児 《帽子をかむった男(歩く女)》 1922年 名古屋市美術館
1907年のピカソの《アビニョンの娘たち》がその誕生とされるキュビスムは、20世紀以降の美術にとって、あまりにも圧倒的な変革を起こしたアートでした。以後、どんな芸術もこの影響を無視しては語りえないとも言われています。
(参考記事:現代アートが彩る道後温泉で、山口晃の手がけた客室に泊まりませんか?)
それほどの大きなムーヴメントは、当然、大正から昭和初期にかけて日本にももたらされます。しかし、同時期に入ってきたフォーヴィスムやシュルレアリスムに比べると、アーティストたちは実験的な創作の後、足早に立ち去り、深められることがありませんでした。
ところが時を隔てた戦後、1950年代前半に、リバイバルともいえるキュビスム・ブームが見られます。きっかけは、1951年に東京と大阪で開催されたピカソの展覧会でした。洋画のみならず、日本画から彫刻、工芸にまで及んだその影響は、有名・無名を問わず、多くのアーティストの作品に、個々の表現の形を取りながら、活かされていったのです。
(参考記事:1970年のTOKYOから、熱風が吹いてくる。)
埼玉県立近代美術館では、この二度のキュビスムのムーヴメントを、それぞれ別の文脈でアーティストたちが受容していったという仮説に基づいた、大胆かつ細やかなセレクトで、日本でのキュビスムのかたちを再見する展覧会が開催されています。
だから展覧会名は、「日本のキュビスム」ではなくて「日本におけるキュビスム」。そして、サブタイトルは「ピカソ・インパクト」。
世界的にも特異な受け入れられ方をした日本におけるキュビスムの姿は、その理論よりも表現の手法として受け入れられたという文脈でたどったとき、ピカソの衝撃の大きさが見えてくる...。
ピカソとブラックの作品をはさみ、戦前と戦後のふたつのムーヴメントを振り返る会場は、日本のキュビスムの代表とされる萬鐵五郎や東郷青児をはじめ、独自のキュビスムを追求し続けたただひとりと言える坂田一男から、あまりキュビスムとは結びつけられない堂本尚郎や河原温といった画家たちまで、西洋から遠く離れた日本で、キュビスムが、いかに時系列を無視して同時に入ってきた他の美術動向と融合しているかを感じさせます。
なぜそのまま定着しなかったのか? どんなかたちでその影響が探れるか? 日本におけるキュビスムとはなんなのか? 問いかけに満ちた空間に並ぶ作品たちは、まるでミステリを読み解くためのヒントのようで、スリリングなアート鑑賞を楽しめます。
「日本におけるキュビスム ピカソ・インパクト」
~2017年1月29日(日)
開催場所:埼玉県立近代美術館
埼玉県さいたま市浦和区常盤9-30-1
開館時間:10時~17時30分 入館は閉館30分前まで
休館日: 毎週月曜日(1/9は開館)、年末年始(2016年12月26日~2017年1月3日)
TEL:048-824-0111
観覧料:¥1,100(併せてMOMASコレクションも観覧可能)