やはりマニラは厳しい都市だった
マラテ地区の夜
さて明くる日からどんな取材になるのだろうか。
とりあえずは車で近くのエルミタ地区にあるMSFのオフィスまで行き、ジョーダン本人からくわしいブリーフィングがあることはわかっていた。これまでの2回の渡航でも必ずそうなっていたから。
で、俺たちは自分たちだけで外に出て軽い夕食をとろうとした。
下の道に降りると、例のキャバレーがあり、その少し先にも同じような店があるのがわかった。だが他にレストランがない。
キャバレーの向かいにあるセブンイレブンの前にがたいのいい男たちが数人いて、格闘のふりをしたりしているのに気づいた。おそらく用心棒的なものだろうと思った。
道は少し行くと暗くなった。警戒のレベルを上げながら、比較的明るい横道へ入った。ただ俺は空港での体験の続きを味わっていて、マニラ市民が親切であることを疑わなかったし、南の島を巡った昔と経済状態がすでに違うという思い込みを捨てられなかった。
横道を抜けた先がさらに明るかったので俺はそこを目指した。遅くまでやっている現地のファストフード屋みたいなものがあった。周囲はバーのようなもので、その前をジープを改造したジプニーという移動手段や、バイクに補助車を付けた乗り物(トライシクル)が走っていた。
ほぼ誰もいないファストフード屋に入って、奥のガラスケースの中のおかずを選び、ライスを頼んだ。谷口さんはおなかが減っていなかったらしくジュースを求めた。
忙しくプラスチック皿の上の肉とライスを食べてから、店の向かいのセブンイレブン(とにかくマニラにはセブンイレブンとミニストップばかりあった)に行った。水を買っておきたかったし、翌朝のパンも欲しかった。
店内に2人の少女がいた。7、8歳といったところだろうか。こんな夜にと思ったし、髪が乱れているなとも思った。だがそれよりも俺は自分が買うべきものに頭がいっていた。
そしてコンビニの外に出た途端、さっきの少女の一人がレンゲの花で作った飾りを束ねて差し出しているのに気づいた。子供は花売りだったが、もう売ることに飽きていた。
はっと思うと、もっと小さな女の子が店の入り口につながるコンクリートの上に寝ていて、もう一人のさっき俺が見た少女に何か掛けてもらっているのがわかった。ビニールのようなものだった。寝ている少女も世話している子も、ともに髪と身体が薄汚れていた。頬や眉の下などはススで真っ黒だった。
家のない子供たちだった。
遠くで「っしゃいませー」という嬌声が聴こえていた。
俺が見ているホームレスの女の子たちから、ミニワンピースで働いている若い女性たちまでが一直線であることに思いあたった。
そうなるしかなくてそうなっているのだった。
マニラはなお厳しい都市だった。
そこでMSFがどんな活動を、それも「女性を守るプロジェクト(俺の仮命名)」を進めているのか、俺は翌日から毎日スラムに入って取材を重ねることになる。
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。