黒田日銀の異次元金融緩和は「失敗」したのか
顕著な雇用の改善
要するに、中央銀行が2%程度のインフレ率を目標とするのは、それ自体が望ましいからではなく、それによってより低い失業率とより高い所得が実現できるからである。中央銀行はだからこそ、政策金利の操作や量的緩和のような手段を用いて、目標インフレ率を達成しようと努める。しかし、そこでの政策の目標として本来的に意味があるのは、あくまでも雇用の拡大であり、それを通じて実現される所得の拡大である。インフレ目標の達成とは、そのような意味での完全雇用が達成されたことを示す「目安」にすぎない。
これは、黒田日銀の異次元金融緩和がその目標を達成しつつあるかの正しい判断は、雇用の改善が続いているのか否か、より具体的には失業率の低下が続いているのかに基づいて行われなければならないことを意味する。いくらインフレ率が高まっても、失業率が低下しているのでなければ、その政策が成功しているとはいえない。逆に、インフレ率が十分に高まっていないとしても、雇用が改善し続けているのであれば、その政策は明らかに成功しているのであり、最終的な目標の達成に着実に近づいているのである。
それでは、黒田日銀の異次元金融緩和以降、雇用状況はどう推移したのか。まず失業率について見ると、異次元金融緩和前の2012年末には4.3%程度であった日本の完全失業率は、2016年9月時点で3.0%まで低下している。これは、1990年代前半以来の低さである。求職者に対する求人の比率である有効求人倍率は、同年9月で1.38まで上昇したが、これはバブル期の1991年8月以来の高水準であった。また、「雇用増加といってもその多くは非正規にすぎない」という根強い批判とは裏腹に、同年2月には、正社員の増加率が非正規社員のそれを21年ぶりに上回った。これらのデータは明らかに、日本の雇用状況が確実に改善されてきたことを示している。そして、2%というインフレ目標が未達であるということは、そこにはまだ改善の余地が残されていることを示しているのである。
異次元金融緩和政策の失敗をあげつらう論者たちはこれまで、この雇用の改善という最も基本的な事実を無視し続けてきた。あるいは、その原因を生産年齢人口の減少などに求めて、金融政策の役割を意図的に否定し続けてきた。しかし、日本の生産年齢人口の減少が始まったのは、2013年以降ではなく、1990年代半ばのことである。さらに、それ以降の日本経済は、ごく最近まで、こうした労働人口の減少にもかかわらず、労働力の不足ではなく、雇用機会の不足に悩まされてきたのである。しばしばロスト・ジェネレーションとも呼ばれているように、若年層の就職難はとりわけ深刻であった。
それに対して、黒田日銀の異次元金融緩和政策は、あの2014年4月の消費増税ショックによる厳しい消費減少をさえも乗り越えて、リーマン・ショック前どころか、バブル期以来の雇用改善を成し遂げたのである。これを成功と呼ばないのなら、いったい何が成功なのだろうか。
つまり、異次元金融緩和政策が成功していることは明白である。唯一問題があるとすれば、それは、完全雇用の実現という最終的な政策目標を、約束の期限内に達成できなかった点のみにある。それをどう考えるべきかについては、稿を改めて論じたい。
[筆者]
野口 旭
1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)等、著書多数。