「ホワイト・ヘルメット」を無視するノーベル平和賞の大罪
アレッポの状況は、90年代前半のサラエボを思い出させる。旧ユーゴスラビアのサラエボでは、絶え間ない空爆と苛烈な「民族浄化」が長期間続き、ついにアメリカが介入せざるを得なくなり、セルビア人勢力に対するNATOの空爆が始まった。このときは、それが和平への道を開いた。
ノーベル賞委員会は、09年にも救いようのない愚行をしでかした。実質的に、アメリカ大統領に当選したというだけの理由で、バラク・オバマに平和賞を授与したのだ。
ブッシュ前政権との違いを鮮明にさせたアメリカ初の黒人大統領は、平和の拡大に寄与する可能性がかすかにあるだけで平和賞に値するということらしい。本来は、実際の業績をたたえる賞のはずなのだが。
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ひょっとすると、ノーベル賞委員会が今年ホワイト・ヘルメットへの授賞を見送ったのは、09年にオバマに平和賞を与えてしまったことが理由だったのかもしれない。
オバマはシリアでの人権蹂躙を黙殺し続けてきた。これまで下した意思決定はことごとくお粗末で、プーチンとアサドの独裁者コンビが罪なき市民を殺すのを放置している。もしホワイト・ヘルメットへの授賞を発表していたら、オバマに「平和」賞を与えたことの是非が問われていたかもしれない。人々が無残に殺されるのを傍観しているのは、「平和」的な行動とは到底言えないからだ。
結局、ノーベル賞委員会にとっては、正義よりもメンツが大事だったのだろう。
[2016年10月18日号掲載]