ゲーム研究の現在――「没入」をめぐる動向
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論壇誌「アステイオン」84号(公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、5月19日発行)から、吉田寛・立命館大学大学院先端総合学術研究科教授による論考「ゲーム研究の現在――『没入』をめぐる動向」を転載する。デジタルゲーム学会(DiGRA)の初代会長フランス・マユラの著書『ゲーム研究入門――文化の中のゲーム』(邦訳未完)を紹介しながら、ゲーム研究の発展について解説。なかでも、もっともホットなテーマの1つである「没入(immersion)」は現在、どのように議論・研究されているのだろうか。
筆者は近年、感性学の見地からゲームの研究に取り組んでいる。具体的には、日本語で「テレビゲーム」(ただしこれは和製英語)、英語では「ビデオゲーム」や「デジタルゲーム」、「コンピュータゲーム」などと呼ばれるゲームのことである。こうしたゲームは一九八〇年代から心理学や教育学などの領域で学術研究の対象となっていたが、「ゲームとそれに関連する事象を研究と学習の主題とする学際的領域であるゲーム研究」(マユラ)が新たなディシプリンとして浮上したのは世紀転換期の頃である。メルクマールとなる年は、査読付き学術雑誌の『ゲーム研究(Game Studies)』が創刊された二〇〇一年、そして国際的学術組織である「デジタルゲーム学会(DiGRA)」が設立された二〇〇三年だろう。同学会の初代会長はフィンランド人のフランス・マユラ(一九六六-)で、彼には『ゲーム研究入門――文化の中のゲーム』(二〇〇八年)という教科書としての使用を意識した入門書もある。
そしてゲーム研究がこの時期に成立した背景には、幾つかの理由が考えられる。まず、ゲームが文化的、社会的、経済的、技術的に大きな影響力――良し悪しを問わず――を持つようになってきたことである。次に、自らもゲーム文化の中で育った――ビデオゲームの黄金期である一九八〇年代に青年期を過ごした――若い世代の研究者の増加である。ゲーム研究者の大半が、自らが属する既存のディシプリンの中からゲーム研究への越境を試みてきた。そのことはゲーム研究の学際的性格にかんがみれば好ましいが、その反面、方法論の分裂や術語の不統一といった弊害ももたらしてきた。ゲーム研究が固有の学問領域としての核心とアイデンティティを作ることは将来の課題として残されている。
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しかし他方で「どうしてゲームを研究するのか?」という素朴な――そしてときに意地悪な――問いに答えるのはさほど難しくはない。まず分かりやすいところから言えば、ゲーム産業の巨大さである。二〇一五年には世界のゲーム産業の市場規模が、映画産業と音楽産業の合計を上回った、という調査データも出た。ゲーム研究はいわゆる産学連携が比較的やりやすいこともあり、企業やクリエイターとの共同研究も盛んに行われている。そしてその産業の大きさは、ゲームが――それを娯楽と呼ぶにせよ、文化と呼ぶにせよ――われわれの日常生活にすっかりとけ込んでいることの証拠でもある。現在、世界のゲーム市場での売上げの三分の一はスマートフォンやタブレット向けのゲームが占めている。そうしたデバイスの普及によって、われわれは文字通りいつでもどこでもゲームができるようになった。だがその裏返しに、日本では、小中学生がゲームで遊ぶ時間が学業を圧迫していることが深刻な社会問題となってもいる。こうした問題もゲーム研究の大きな課題である。
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フランス・マユラ
『ゲーム研究入門─―文化の中のゲーム』
An Introduction to Game Studies
by Frans Mäyrä (SAGE Publications Ltd, 2008)