邦人も避難へ、緊迫の南スーダン情勢と国連PKO
しかし独立による和平への期待は打ち砕かれ、キールが2013年7月にマシャールを副大統領職から解任し、双方を支持する勢力同士の対立が鮮明となった。内戦が勃発したのはその5カ月後、キール派の軍隊がマシャールの出身民族ヌエル人をジュバで虐殺した後だった。2016年の初めまでに、200万人以上の南スーダン人が難民や避難民となり、犠牲者は10万人に上ると推計される。
2015年8月に調印された停戦合意では、両派が参加する統一政府の発足を目指していたが、それ以降も、双方ともに協定内容を破ることがしばしばあった。停戦合意に違反したり、憲法改正に非協力的な態度を示したりしたこともあったが、最も致命的なのは首都ジュバの武装解除を怠ったことだろう。
「予想されていた事態とはいえ、現実に最悪の結果となった」と言ったのは、米大西洋評議会の研究員で、南スーダンを研究するピーター・バイアール・アジャクだ。「この和平合意の内容はどれも、考え抜かれたものでなかったことが明白となった。十分な訓練を受けておらず、給与が支払われないこともある兵士たちが、完全武装で待機している。これは起きるべくして起きた事態だ」
*ロイター通信によると、菅義偉官房長官は今日午前の会見で、国際協力機構(JICA)が南スーダンの経済協力関係者47人を退避させるべく、脱出準備中であることを明らかにした。