EU-トルコ協定の意義と課題
EUの抱える根本的なジレンマは、EU法に定められた高い水準の人権保護と人の移動の制御という目標とをどの程度両立できるかという点であろう。
高い法的基準を厳格に適用すればEU-トルコ協定が骨抜きとなり、人の移動を制御するという目的を達成することが難しくなる可能性がある。かといって人の移動の制御を優先すればEU法や国際法に抵触する可能性が高くなり、協定自体の正統性が危ぶまれてしまう。
シェンゲン圏の「平常への復帰」を導く
それでもEUがこのような、やや強引とも思える政策を採用したのは、恐らくシェンゲン圏への影響をにらんでの事であろう。昨秋からオーストリアやドイツ、スウェーデン、デンマークなどが相次いで国境管理を導入したため、にわかにシェンゲン圏の危機が語られるようになった。
EU-トルコ協定の採択には、内外やEUへの密航業者等へ向けて欧州の対外国境の復帰を印象付け、その強いメッセージにより人の移動を抑制すること、そしてそれを前提としてシェンゲン圏の「平常への復帰」を導くことという2重の狙いがあったように思われる。
事実、欧州委員会はギリシャの状況について5月に評価を行い、その際に深刻な欠陥が見られる場合にはシェンゲン圏全体で国境審査の再導入を認める提案を行うとしていた。それ故ギリシャ・トルコ間の人の波を止めることには、単にそれだけに止まらない欧州統合プロジェクト自体の安定化という政治的意義が含まれていたのである。
これまでのところ大規模な送還は行われていないが
UNHCRによれば協定発効から4月12日までに新たにギリシャへたどり着いた避難民6480人中で実際にトルコに送還されたのは326人とされており、これまでのところ懸念されていた大規模な送還は行われていない。
しかし逆に言えばこの数字は大多数の避難民が送還を免れるためにギリシャで庇護申請を行ったこと、そして同国の難民収容所で長期にわたり滞留することを意味する。
以前から危ぶまれていたギリシャの審査・収容能力を早急に高め、十分な人権保護を実現することがEUにとって火急の課題となる。またこれら庇護申請を行った避難民へEUがどのような対応をとるのか、改めて今後の行方を注視する必要があろう。
[筆者]
佐藤俊輔
東京大学法学政治学研究科博士課程を満期退学後、EUの基金によるエラスムス・ムンドゥスGEM PhDプログラムにより博士研究員としてブリュッセル自由大学・ジュネーブ大学へ留学。2016年4月より獨協大学・二松學舍大学・立教大学で非常勤講師。専門はEUの政治、ヨーロッパ政治、移民・難民政策。