中国、「私の名前」は「党」
そこで鄧小平は1991年の春節前夜、「姓社姓資論議は打ち切りだ! 計画経済ならば社会主義で、市場経済ならば資本主義だというような誤解をするな! 市場経済も社会主義に服務することができる」として、中国を「特色ある社会主義国家」と位置づけ、1992年10月に開催された第14回党大会で、党規約に書き入れたのである。「市場経済を走らせても、資本主義国家ではなく、社会主義国家である」という、最初から矛盾を内包した決着点であった。
それからというもの、中国人民はみな「銭に向かって」進み始めた。中国建国初期は、毎日のように「向前看(シャンチェンカン)!」(前に向かって進め!)と教育されたものである。庶民はそれをもじって、同じ発音の「向銭看(シャンチェンカン)」(銭に向かって進め!)を、自嘲的に叫ぶようになった。
そして中国は経済成長し、以来、「姓社姓資」論議は、ピリオドを打ったかに見えた。
習近平総書記による「姓党(メディアの名前は党)」理論
ところが、2012年11月の第18回党大会で習近平が中共中央総書記になり、まだ国家主席にはなっていなかった2013年1月5日、習近平は総書記として中共中央委員会を開催し、そこで「否定してはならない二つのこと」という重要講話を行なった。
一つは「改革開放後の歴史を以て、改革開放前の歴史を否定してはならない」で、もう一つは「同時に、改革開放前の歴史を以て、改革開放後の歴史を否定することもできない」というものである。
これが「姓社姓資」論議を思い起こさせ、2013年の半ば以降から、たとえば「姓"社"姓"資"大論争(1991年)」などという論評が、盛んにネット上に現れ始めた。
2014年には「姓資姓社問題は根本的には解決していない」という問題提起があったり、2015年9月には「中国社会科学院:きちんと"姓資姓社"問題の大討論を」というものまで出てくるようになる。
こうして現れたのが、習近平総書記による「媒体姓党(メディアの名前は党)」理論だ。
「中国の名前」は「党」
現在の中国は、とても社会主義国家と言えるような状況ではない。
習近平政権が、どんなに反腐敗運動を展開しても、党幹部から腐敗を撲滅させることはできず、むしろ敵を増やしてばかりいる。また労働意欲を抑え込んで経済が冷え込み、貧富の格差や環境問題あるいは医療問題などの民生問題も目立った改善は見られていない。
「特色ある社会主義国家」は結局、「中国共産党の一党支配体制」を維持したまま国家資本主義あるいは官僚資本主義を歩んでいるようなものだ。