オリンピックと建築家
高山の回想。
「岸田さんは、ともかく前川(國男)さんと坂倉(準三)さんがあんまり好きじゃねぇんだ。言うこと聞かねぇから。それで岸田さんが丹下(健三)君を推したんだよ。だから、初めっからあすこは丹下君だということになっちゃった。ぼく前川さんとか坂倉さんも一緒にコンペでもやれって言ったんだけど」、「岸田さんは建築のこと以外、というかプールを丹下さんにやらせること以外、あんまり興味がなかったみたいだね。(オリンピックがらみの)都市計画のことなんか嫌だからといって、僕と中山さんが後はやったんだよ」。
戦前の東京オリンピック計画の建築家に予定されながら、いろんな事情で夢破れた岸田は、その後、戦後復興期を通して丹下健三を国を代表する建築家にすべく尽力し、その総仕上げとして丹下を推した。
しかし、丹下の名を委員会に出すと、意外な反対があった。建設省が、建設省関東地方建設局営繕部の部長に任せたいと言い出した。京大出の優れた建築家かもしれないが、丹下と争うほどとはとても思えない。幻のオリンピックの東京市の時に続き、建築家の業がまた顔を出した。どんな組織にとっても内部からの意向を無下に扱うことは出来ないから、建設省は省内での設計を言い出し、この主張により岸田の丹下推薦は一時の頓挫を余儀なくされる。
設計を誰にするかは宙吊りになり、日だけが過ぎてゆく中で、岸田は役人を押えるべく、役所が設けた委員会の委員長としては封じ手を使った。衆議院オリンピック東京大会準備促進特別委員会の席上、岸田の意を受けた野党の議員が、「なぜ設計者がいつまでも決まらないのか」と質問した。役人は国会に弱いから、岸田の作戦勝ちだった。
まだ次がある。設計者の内示を受けた丹下は、準備に取り掛かるが、どうしても二八億円は必要なのに、大蔵省は二〇億円しか認めない。そこで丹下は大蔵大臣の田中角栄を訪れ、直談判した。丹下と田中をつないでくれたのは、後に田中の下で日本列島改造を進める下河辺淳と思われる。戦時中、本郷から御茶ノ水にかけての空襲による火事を消すため、東大建築学科には大学院生からなる丹下隊が結成されているが、下河辺も火消しの一員として駆け回って以来の縁。
かくして丹下健三の代々木オリンピックプールは実現し、二〇世紀後半を飾る世界の名作となった。
国や時代の記念碑が実現するまでの有為転変、右往左往は、今も昔も変わらない。建築家は、こちら側の岸辺からそうした濁流に飛び込み、泳ぐしかない。向う岸まで泳ぎ切れるか溺れるかは、本人の力と案の良し悪しにかかる、と向うの岸辺に立つ建築史家としては言うしかない。
[筆者]
藤森照信(東京大学名誉教授)
1946年生まれ。東京大学建築学専攻博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、工学院大学建築学部教授等を歴任。専門は建築史学。著書に『建築探偵の冒険・東京篇』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『タンポポ・ハウスのできるまで』(朝日新聞社)、『天下無双の建築学入門』(筑摩書房)、『歴史遺産 日本の洋館』(講談社)など多数。
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