毛沢東の亡霊がモスクワに? 中ロ激突前のはかない蜜月
さらに毛は「大躍進」の名の下、農村の人民公社化を推進。何千万人もの自国民を餓死に追い込んだが、今なお中国は社会主義の看板を下ろしていない。
それから半世紀。毛の路線を堅く守り、毛と同じくらいやぼったい習近平(シー・チンピン)国家主席を、同じくソ連圏の復活をもくろむロシアのプーチン大統領は軍事パレードで温かく歓迎。傍らに座らせて戦車群を走らせてみせた。
プーチンと習は蜜月ぶりを最大限演出しているが、中ロ両国は心底、相手を信用していない。50年代末から中ソ対立が激化し、互いを「修正主義」と罵倒し、「赤の広場」も天安門広場も「修正主義の巣窟」だと呼び合っていた。69年春にはオホーツク海に注ぐアムール川(黒竜江)支流のダマンスキー島(珍宝島)で武力衝突が発生し、核戦争に発展する一歩手前だった。
その頃、プーチンはソ連の情報将校を目指し、習は中国内陸部の横穴式住居、窯洞(ヤオトン)に住み、下放生活に明け暮れていた。現代史の同時代人であり、「歴史を忘却するな」と誰よりも口うるさく語る2人が、両国の過去の怨念をきれいさっぱり置き去りにしたとは言い難い。
それに今、ロシアは人口減少に直面している。都市への憧れから若者を中心に大挙してサンクトペテルブルクなどヨーロッパ・ロシアに向かう一方、人口が希薄となったシベリアに入植した中国人は100万人を下らないとの統計がある。帝政以来、「ロシア人が鮮血を流して獲得した土地」を習の仲間たちに譲り渡すほどの気前よさなど、プーチンにはないはずだ。
習が進める「シルクロード経済圏構想」とプーチンの「ユーラシア経済同盟」が正面からぶつかり合う時代もやがては来るかもしれない。モスクワに現れた毛の肖像画も、一瞬の亡霊にすぎないだろう。
[2015年5月26日号掲載]