欧米の欲につけ込んだカダフィの謀略
独裁者を国賓として歓待
テネット元長官やそのほかのCIA関係者によると、CIAでクーサの主な交渉相手だったとされるスティーブン・カッペスは、CIA副長官まで上り詰めた(10年に突如退任した)。
大手石油会社も潤った。リビアで最も広大な油田を確保したのはアメリカのオクシデンタルだったが、とりわけ大きな成果を手にしたのは、BPとイタリアのエネルギー会社ENIだ。リビア産原油の約80%はイタリアが輸入しており、ベルルスコーニはこれまで11回にわたってカダフィを国賓としてローマに招いて温かく歓迎してきた。
原油相場が高騰すると、カダフィ一家は持て余すほどの富を手にし始めた。06年には、ほかの有力産油国をまねて政府系ファンドを創設。フィナンシャル・タイムズ紙やエコノミスト誌を傘下に収めるイギリスのメディア大手ピアソン、有力な金融機関、さらにはイタリアの人気サッカーチームのユベントスに至るまで、実にさまざまな企業の株式を取得した。
しかし00年代末になると、クーサが入念に築き上げた砂の城の土台がほころび始めた。カダフィ親子の言動にますます歯止めが利かなくなってきたのだ。
キーパーソンの次の動き
親子の暴走がついに決定的なレベルに達したのは、09年。スコットランドで収監されていたリビアの元情報部員アブデル・バセト・アリ・アルメグラヒが前立腺癌末期で、余命3カ月かもしれないとの診断が下った。アルメグラヒはパンナム機爆破事件で有罪判決を受けた唯一のリビア情報機関員で、終身刑を言い渡されて服役していた。
リビア側は、英国内の刑務所に収監されている服役者の帰国を望むとの意向を示した。その頃、リビア政府は、BPとの大掛かりな石油関連の契約締結をストップしていた(前述のとおり、BPには元MI6のマーク・アレンが勤めていた)。
結局、アルメグラヒがリビアに帰還し、英雄として熱烈な歓迎を受ける一方、BPの9億ドル規模の契約は無事まとまった。セイフは取引があったことを隠そうとせず、アルメグラヒの釈放問題は常に議題に上っていたと述べていた。
この過程でクーサがどのような役割を果たしたかは分からない。はっきりしているのは、パンナム機が爆破された当時、クーサがリビア情報機関のナンバー2で、アルメグラヒがその部下だったことだ。
そのとき部下の行動に賛成したにせよ反対したにせよ、クーサは09年に外相に抜擢された。それ以降は活発に動き回るというより、表舞台に活動の場を移して外相としての型どおりの行動にほぼ終始していた。
今回の騒乱でリビアの人々が立ち上がって間もない時期、クーサはウィリアム・ヘイグ英外相らの電話に応じていた。しかし米国務省によると、今は本人に電話がつながらないという。
リビアの体制維持を断念したということなのか。それとも、自分が得意としてきた情報工作と裏取引の世界に戻って、活発に動いているのか。そして、欧米諸国は今でもクーサを交渉相手として認めているのか。
これらの問いに答える手掛かりが1つある。米財務省は、数十人のカダフィ一族や側近の資産を凍結する措置を打ち出しているが、その対象にクーサは含まれていない。
長期間にわたりカダフィ体制を延命させてきた実績を持つクーサのことだ。今度は自分自身の延命のために、欧米と取引をまとめていても意外でない。
[2011年9月 7日号掲載]