最新記事

医療

「臨床治験天国」インドの闇

公的医療制度の不備を突き、貧困層相手に低コストで新薬の実験を行う治験ビジネスが急成長しているが

2011年6月21日(火)19時06分
ジェーソン・オーバードーフ

「人体実験」 満足な医療を受けられない多くのインド人にとって治験は命綱(結核で入院中の男性) Jayanta Dey-Reuters

 人口12億人の多くが満足な医療行為を受けられないインドにおいて、開発中の新薬を無料で試せる臨床治験に望みを託す人は増える一方。今やインドは世界有数の臨床治験大国となったが、治験の市場が4億ドル規模に膨らむ中、合法的な「人体実験」がインド人の健康にもたらす負の側面が浮き彫りになりつつある。

「規制が少ないうえに強制力がなく、倫理上の問題も軽く考えられている」と、ニューデリーで女性の健康問題に取り組む団体「サマ」の研究者アンジャリ・シェノイは言う。「インドが臨床治験の拠点として成長し、治験の件数が増え続けるにつれて問題は大きくなっている」

 インド当局は先週、過去1年間に治験の過程で命を落とした患者の遺族に必要な賠償を行っていないとして、9社を公に非難した。だが批判派に言わせれば、真の問題は被害者が膨大な人数に上っていること、そして当局の対応の鈍さにある。

 公式な統計によれば、治験の過程で死亡したインド人は昨年だけで670人、08年以降で1500人に達する。治験に起因すると認定された死亡例はほとんどないが、治験参加中に死んだ患者の死因を調査する独立した検死機関もない。

インドの治験は先進国より最大60%安い

 成長著しいインドの治験市場はまさに「時限爆弾」だ。確かに、インドの人々は手頃な金額で受けられる医療行為を切望している。政府は全医療費のわずか15%しか負担しておらず、患者の3分の2は全額を自己負担で支払っている。人口の2割を占める貧困層の半数以上が財産を売ったり、借金をして医療費を払っているというのに、政府の医療補助金は減少している。

 その一方で、政府は国民皆保険や対象者を拡大した医療費の補助制度を整備する代わりに、貧困層をターゲットとした臨床治験を推進している。

 インドでは05年に新薬開発に関する法律が改正され、企業は他国で治験を行うのと並行してインド国内でも治験を行えるようになった。おかげで、インドにおける治験件数は激増。先進国より最大60%も安いコストで治験を行えるため、世界中の製薬企業が熱い視線を注いでいる。

 当局によれば、米食品医薬品局(FDA)に登録されたインドの治験実施機関の数は、2000年代初頭の3倍近くに当たる150に増加。インド医療研究協会に届けが出された治験は1000件以上に達する。

 当局は一大産業の興隆を歓迎しているが、批判派に言わせれば監督体制は恐ろしいほどお粗末だ。臨床治験は倫理性や安全性、科学的妥当性を客観的に評価する第三者機関の監視の元に行われるべきだが、インドでは行政当局と関係ない倫理審査委員会が乱立し、バラバラの基準で運営されている。

 インド医療倫理ジャーナル誌のアマー・ジェサニによれば、大都市から小さな町までインド全土に
無数の治験業者が点在しているが、彼らには実験プロセスを評価する倫理審査委員会への登録は義務付けられていない。

 しかも数百に上る倫理審査委員会のうち、公的な認定を受けた組織はごくわずか。治験実施機関への「お目付け役」となるべき倫理審査委員会の大半は、外部の目にさらされておらず、過去に審査した治験の数や治験のモニタリングに使う手法などの詳細も明らかにしていない。「倫理審査委員会がどのように機能しているのか、まったくの謎だ」と、ジェサニは言う。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

JAM、25年春闘で過去最大のベア要求へ 月額1万

ワールド

ウクライナ終戦へ領土割譲やNATO加盟断念、トラン

ビジネス

日経平均は小幅に3日続伸、小売関連が堅調 円安も支

ビジネス

午後3時のドルは150円前半へ反発、韓国ウォン急落
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
特集:サステナブルな未来へ 11の地域の挑戦
2024年12月10日号(12/ 3発売)

地域から地球を救う11のチャレンジと、JO1のメンバーが語る「環境のためできること」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや筋トレなどハードトレーニングをする人が「陥るワナ」とは
  • 2
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説など次々と明るみにされた元代表の疑惑
  • 3
    【クイズ】核戦争が起きたときに世界で1番「飢えない国」はどこ?
  • 4
    JO1が表紙を飾る『ニューズウィーク日本版12月10日号…
  • 5
    【クイズ】世界で1番「IQ(知能指数)が高い国」はど…
  • 6
    NATO、ウクライナに「10万人の平和維持部隊」派遣計…
  • 7
    健康を保つための「食べ物」や「食べ方」はあります…
  • 8
    シリア反政府勢力がロシア製の貴重なパーンツィリ防…
  • 9
    なぜジョージアでは「努力」という言葉がないのか?.…
  • 10
    混乱続く兵庫県知事選、結局SNSが「真実」を映したの…
  • 1
    BMI改善も可能? リンゴ酢の潜在力を示す研究結果
  • 2
    エリザベス女王はメーガン妃を本当はどう思っていたのか?
  • 3
    リュックサックが更年期に大きな効果あり...軍隊式トレーニング「ラッキング」とは何か?
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    ウクライナ前線での試験運用にも成功、戦争を変える…
  • 6
    メーガン妃の支持率がさらに低下...「イギリス王室で…
  • 7
    健康体の40代男性が突然「心筋梗塞」に...マラソンや…
  • 8
    「時間制限食(TRE)」で脂肪はラクに落ちる...血糖…
  • 9
    NewJeansの契約解除はミン・ヒジンの指示? 投資説な…
  • 10
    黒煙が夜空にとめどなく...ロシアのミサイル工場がウ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中