フェースブック解禁、シリアの真意
中東でもとりわけ閉鎖的とされる国が、今あえてネット規制解除に踏み切ったのはなぜか
余裕たっぷり? 高い支持率を誇るアサド大統領にとってはエジプトの騒乱も対岸の火事か(写真は07年の再選時の首都ダマスカスの様子) Khaled al-Hariri-Reuters
チュニジアで独裁政権が倒され、エジプトでもムバラク政権が崩壊した激動の中東で先週、シリアが思いがけない行動に出た。国民のインターネットアクセスを制限する規制の多くを解除したのだ。
シリアはこれまで、国境なき記者団に「インターネットの敵」と評されるほど厳しいウェブ閲覧制限を課してきた。フェースブックもユーチューブもアラビア語版ウィキペディアも閲覧を禁じられ、アクセスできないブログも多かった。
大半のネットカフェではアクセス制限を回避するための中継サーバを設定しているが、シリア在住のブロガー、アナス・クティエシュに言わせればウェブ環境は耐えがたいレベルだ。「毎日フラストレーションでいっぱい」と、クティエシュは言う。「(中継サーバも)100%確実ではないし、ただでさえ遅い通信速度がさらに遅くなる。いまだにダイヤルアップ接続を使っている大多数のシリア人にとっては、迂回ツールを使って大容量のマスコミサイトにアクセスするなんて不可能に近い」
エジプト危機の前に規制解除を決めた?
チュニジアやエジプトの情勢を受け、シリア政府はネット規制をさらに強化するだろう、というのが大方の予想だった。ところが実際は正反対。「シリア政府を批判する者への明確な挑戦状だ」と、シリアの政治経済ニュースを扱うシリアコメント・ドットコムの創設者ジョシュア・ランディスは言う。
仮にこれがシリアのイメージ戦略の一環だとしたら、リスクの高い賭けだ。2月4、5日にはフェースブックを通じた呼びかけで、国会前での抗議デモが計画されたばかりだ(結局は不発に終わったが)。
「フェースブックの使用を許可する決定が下されたのは、エジプトのデモ勃発以前だった可能性がある」と、ランディスは言う。「いったんはフェースブックが利用できるようになったが、その数日後に方針が撤回されたようだ。チュニジアとエジプトの騒乱を見て、当局が不安を抱いたのだろう。しかしその後、(反体制派が企画した)デモが起きなかったので、政府は当初の方針通り、フェースブックの利用を認めることにしたのだろう」
シリアは中東でもとりわけ閉鎖的な国と評されるが、実際は宗教的にも社会的にもリベラルな世俗国家で、国家元首の人気も高い。バシャル・アサド大統領は、亡くなった父親の後を継いで、2000年に34歳の若さで大統領に就任。ピュー・リサーチセンターが09年に行った世論調査では、中東の国家元首で最も国民の人気が高かった。
「大統領がダマスカス市内のレストランに突然現れたり、ボディーガードなしでパリの街を歩いたり、自分で車を運転して出かけたりするのは、彼が国民を恐れておらず、国民に慕われていると示すためだ」と、ランディスは指摘する。