日本を殺すスキャンダル狂い
政治家の「清潔さ」を過度に重視する風潮は、政治資金規正法などにも影響を及ぼしてきた。度重なる法改正により、この法律の規定は複雑極まるものになった。「スピード違反や税金みたいに恣意的なもの」で、検察がその気になれば「ほとんどの国会議員が捕まっても不思議ではない」と、政治ジャーナリストの田中は言う。
だが、政治家は誰一人として問題の本質を理解していないようだ。自民党を離党して「新党改革」を立ち上げた舛添要一・前厚生労働相は、「政治とカネ」の問題を根絶するために企業・団体献金を禁止し、「カネのかからない政治」をつくるべきだと主張する。
この提案は、現実離れしている(そもそも民主主義国家では、政治家が活動するにはカネが必要)。重箱の隅をつつくような法律をさらにややこしくすれば、ごく些細な違反行為を理由に、有望な政治家がやり玉に挙げられる事態をさらに招きかねない。
日本の「スキャンダルマニア」には、長年の蓄積がある。自民党の長期政権が続いた何十年もの間、弱い野党がスポットライトを浴びるチャンスは国会審議のテレビ中継くらいだった。野党は有権者にアピールするべく、国会にテレビ中継が入る日、もっぱら自民党のスキャンダルをセンセーショナルに取り上げて非難し続けた。
この慣習が日本の政治論議をゆがめた。ダークスーツをまとった東京地検特捜部の検察官らが政治家の事務所に家宅捜索に入る、あのお決まりの映像がテレビに映し出されると、この国の政策論争はすべてストップする。そして国会とメディアと世論は寄ってたかって疑惑の政治家を袋だたきにする。
鈴木宗男という「悲劇」
メディアも、政策をめぐる議論を報じることよりも政争や政局を報じがちだ。政治家のスキャンダルを追及すれば、視聴率や売り上げ部数が稼げる。メディアは血に飢えたサメのように、新たな餌食を探し続ける。
日本が直面している数々の難題を乗り越えるためには、時の首相と政権が腰を据えて政治に取り組むことが欠かせない。しかし日本のスキャンダルマニアは、政治に空白を作り続けている。
首脳レベルに限った話ではない。元自民党の鈴木宗男衆院議員は政治家人生を通じて、ロシアとの関係改善に力を注いできた。資源大国ロシアとの関係を強化できれば、日本にとってプラスになり得るし、中国を牽制する材料にもなる。
鈴木は、日ロ関係改善を阻む最大の障害である北方領土問題でも成果を挙げつつあった。しかし、過去に外務省に高圧的な態度を取ったことや当時の田中真紀子外相との確執で執拗なバッシングを受け、収賄疑惑も相次いで浮上。02年に逮捕・起訴され、その後国会から退いた。05年には国政に復帰したが、かつてほどの政治的影響力はない。
鈴木はある意味、日本という国家の現状を象徴している。今も有力ではあるが、自らを弱体化させてしまって、国際的な影響力を急速に失いつつある──。
「政治とカネ」で政治家を片っ端から糾弾して失脚させることが日本にとって本当に得策なのか、考えるべき時期に来ている。
[2010年6月 2日号掲載]