聖職者の手から子供たちを守れ
2010年6月3日(木)15時18分
道徳の手本とは程遠い
司祭が赦しを請う際に最適な見本となるのが、新約聖書に登場する放蕩息子の例え話だ。放蕩息子は財産を使い果たすと悲しみに暮れて父親の前でひれ伏し、赦しを請う。「私は神とお父さんに対して罪を犯しました。私にはもう息子と呼ばれる資格がありません」
「どうすれば自分の子供にカトリックの信仰を継がせたいと思えるのだろうか」。Kはそう書いていた。胸を締め付けるこの質問に対する答えはない。これまでどおり教会を信じ、カトリックの教えが説くように教会は祈りと聖歌に満ち、善良な司祭と修道女が礼拝を行う場所だと信奉すべきなのか。
「法王のことはもうどうでもいい。法王はキリストの教えとは無関係だからだ」と歴史家のギャリー・ウィルズはメールに書いている。教会と縁を切り、世間の正義を子供に教えるべきだ、と。子供たちより自分の身を守ることに必死な教会には、最高の道徳教育は期待できそうにない。
[2010年3月31日号掲載]
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