世界の海をめざす中国海軍の危険な野望
「遠洋防衛」戦略に転じた中国の海軍増強は、アジアのパワーバランスを崩し米中関係を揺るがしかねない
海の大国へ 中国は海の覇権争いに乗り出す決意を明確にした(写真は09年4月23日、中国人民解放軍海軍創立60周年を記念した観艦式で) Guang Niu-Reuters
今からおよそ600年前、大航海時代を迎えたヨーロッパ人がアジアに到達する数十年前、中国は既に7回に渡って南洋に海洋探検隊を派遣していた。探検隊はマラッカ海峡を経てインド洋を目指し、アフリカ東海岸やアラビア半島にも到達した。「壮大な権力の誇示」と歴史家が呼ぶ一連の大航海は、近隣諸国を驚かせ、ときには脅かしもしたが、中国の影響力が及んでいなかった地域との交易を始めるチャンスも生み出した。
21世紀の現在、中国は海洋軍事力を増強し、経済大国ぶりを誇示する一環として再び世界各地に艦艇を送り込もうとしている。石油や原材料の供給窓口となる各地の港に艦艇を展開するという「遠洋防衛」戦略を発表し、海軍力増強の意図を世界中に知らしめた。
明朝の前半に当たる15世紀、中国の船舶技術は世界でも群を抜いていた。中国は船尾舵をヨーロッパより1200年も早く発明しており、4つのデッキと4本のマストなどを備えた400フィートの大型帆船まであった。
7回の大航海の指揮を取ったのは、イスラム教徒の宦官で武将の鄭和。1405年から1433年にかけて、中国艦隊ははるか遠方の国々にも朝貢方式(周辺国が中国の優位性を認めて貢物を捧げ、その見返りとして中国皇帝から恩賜を受ける)を拡大。明王朝は地球上で最も広大で裕福な帝国となった。
「これほど多くの人口を擁し、これほど多くの偉大な都市をもち、これほど高い生活水準を維持している国は他になかった」と、歴史小説家のモーリス・コリスは記している。「人間が望みうるあらゆるものが、最高の芸術家の手によって提供されていた」
インド周辺に着々と拠点を築く
だが、中国の大航海時代は、その始まりと同じくらい突然に終わりを迎える。艦艇は海上から姿を消し、中国は陸の大国として国内の支配強化に集中。その後二度と、海軍を遠洋に展開することはなかった──最近までは。
中国東海艦隊の副司令官が語ったように、最近の中国の「海軍戦略は変わりつつあり、沿岸防衛から遠海防衛にシフトしようとしている」。
中国が輸入する石油の多くはアラビア半島からマラッカ海峡経由で運ばれており、今の中国が覇権をめざす海域は、15世紀に鄭和が切り拓いた地域とまさに重なっている。だとすれば、米海軍が世界のシーレーンの安全を請け負っている状況に、中国はもはや満足しないだろう。
こうした動きに神経をとがさせているのがインドだ。中国は港湾建設に協力するなどしてインド周辺国に着々と拠点を築いている。ビルマやバングラディシュ、スリランカ、モルディブ、モーリシャス、セーシェルなどと政治外交上の絆を深め、パキスタンに対しても、アラビア湾に面した街グワダルの新たな港の建設を支援している。
インド洋でのプレゼンスを高めたいという中国海軍の野心を抑え込むため、インドは自国の海軍を使って中国の艦艇を守るという案を検討している。もっとも、中国がそんな申し出を受け入れるとは思えないが。
インドは自国を成長中の超大国であり、中国のライバルと見なしている。インドが核兵器を開発した際には、長年のライバルであるパキスタンへの抑止力以上に、中国への対抗手段という意味合いが強いと口を滑らせたインド人政治家もいた。