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中国習近平副主席の「謎」を解く手紙
中国の次のリーダーと目される習近平・国家副主席が今年9月、その登竜門とされるポストに選出されずに憶測を呼んでいたが、その謎を解く手紙の存在が明らかになった
ミステリーな男 ポスト胡錦涛と言われる習近平の実像はまだ霧の中(2009年10月、フランクフルト) Johannes Eisele-Reuters
中国の習近平(シー・チンピン)・国家副主席は胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席の最有力後継者だが、なぜか今年9月の共産党の会議でその登竜門とされる中央軍事委員会副主席に選ばれなかった。世界のチャイナウォッチャーの間に中国政治の奥の院、中南海で権力闘争が始まったとの憶測が広がっていたが、その謎を解くカギが明らかになった。
中国軍と近いとされる香港誌「鏡報」が最新の12月号で、習が9月の会議の前に「しばらく軍事委副主席に就任したくない」と求める手紙を胡あてに出していた、と報じた。習は「自分は党中央で働いた時間がまだ短く、経験も浅い」「(軍事委員会主席でもある胡錦涛が)軍の内部で高めた権威をまだ揺るがせたくない」といった理由を挙げたという。
中国の政治家にとって、人民解放軍を指導する軍事委員会ポストは権力を掌握するうえで不可欠とされる。鄧小平や江沢民(チアン・ツォーミン)は、最高指導者の座から引退した後もしばらく軍事委委員会主席にとどまった。
胡錦涛も「院政」を始める?
習の手紙について、中国人政治学者の趙宏偉(チャオ・ホンウエイ)は「軍事委副主席への就任を1、2年遅らせ、自分がトップに就いた後もその同じ期間だけ胡錦涛に軍事委主席の任期延長を認める、というメッセージでは」と推測する。「胡も『院政』を始めるかもしれない」
07年の党大会では、胡と同じ共産主義青年団(共青団)出身で有力後継者と見られていた李克強(リー・コーチアン)副首相と、元副首相の父をもつ「太子党」でもある習の序列が大方の予想と逆転。以後、共青団出身者の「団派」と、太子党の間で次期トップ人事をめぐる抗争が起きていると言われてきた。
だが習が胡に「院政」を容認する手紙を出したとすれば、少なくとも習と胡の間に争いはなく、習の次期トップ就任は動かないことになる。現に習は12月14日から、胡の前例にしたがい「トップ就任3年前の日本訪問」に出発。胡と同様、天皇にも会見する。
今回の手紙は軍事委をめぐる人事だけでなく、いまだに謎に包まれた習という人物を読み解く一つのヒントになるかもしれない。
習は「第2の鄧小平」か
習の父親の故・習仲勲(シー・チョンシュン)は文化大革命で迫害され、文革後の78年に「復活」した後は経済特区構想を押し進めたリベラル思想の持ち主として知られている。だが習自身は今年2月、メキシコ外遊中に「腹がいっぱいになってやることのない外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている」と、激しい言葉で一部の外国を批判した。
今年10月の建国60記念周年パレードで、胡は現役の国家主席であるにもかかわらず、自らの写真を毛沢東、鄧小平、江沢民に続く歴代指導者の1人として高々と掲げさせた。
習は胡の中で生まれつつある権力への執着を敏感に読み取り、自らの権力継承をスムーズにするため「院政容認」という一手を打ったのかもしれない。だとすれば老獪な人物だ。メキシコでの発言も、共産党内の保守派に配慮した可能性がある。
習はこれまで主に福建省や浙江省、上海市など経済が発達した沿海部の地方トップとして実績を積み、北京の「政治」とは無縁だった。「政治的には保守派でもリベラルでもなく『無色』だ」と、政治学者の趙は言う。「父親もリベラルな政治家というよりむしろ優秀な実務家だった。習自身も実務家タイプで、政治改革より経済発展を優先する可能性がある」
「老獪」な「実務家」──中国の次のリーダーは体型こそ毛沢東のように大柄だが、中身は「第2の鄧小平」なのかもしれない。