出口の見えない第2の「英国病」
金融分野での独走が招いた惨事
シティーがウォール街を追い抜くまでになったのは、ヘッジファンドやデリバティブ(金融派生商品)といった急成長分野を独壇場にしたからだ。だが不運にも、こうした分野は金融危機で最も大きな痛手を受けた。
今ではウォール街と同じくシティーも国家や地域、グローバル規模で規制強化の波を受けており、その役割は縮小するだろう。
EU(欧州連合)は既に、金融危機の再発防止を目的とする欧州システムリスク評議会(ESRB)の創設で合意した。その監督権限はシティーにも及ぶ。イギリスはユーロ圏に属さず、ESRB議長の任命権を持つ欧州中央銀行(ECB)のメンバーでもないにもかかわらず、だ。
かつてのイギリスならこうした「介入」は許さなかった。だが、今回は別だ。ドイツやフランスはアングロサクソン型資本主義の行き過ぎを抑制しようと心に決めているらしい。より慎重なヨーロッパ大陸各国により多くのグローバル資金の流れを引き込むための改革を進める可能性がある。
金融危機が終息した後は、シティーもウォール街もヨーロッパやアジアの新興金融市場との競合に直面し、以前のような独走状態を続けることはできないだろう。新しい金融秩序が支配する世界では、自由放任主義の代名詞だったシティーはウォール街より高い代償を支払うことになりそうだ。
80年代に実施された金融自由化策「ビッグバン(大爆発)」でイギリスの金融業界に対する規制は大幅に緩和された。以来アメリカの場合とは異なり、法律ではなく慣行が業界の「おきて」になった。
EUの規制の対象にシティーが加わり、イギリスで規制が僅かながらでも強化されれば、シティーは「金融機関にとって敵対的な場所になる」かもしれないと、金融革新研究センター(ロンドン)のアンドルー・ヒルトンは言う。そうなれば、シンガポールや香港がシティーから顧客を奪う事態になりかねない。
ブレアの「新しいイギリス」も死語に
帝国の残りかすが燃え尽きようとしているのは歴史の必然だ。予想外の金融危機と世界的な不況で衰退は加速したが、中国やインドの台頭も対米関係の変化もかなり前から起きていた。
アメリカが新興国との関係構築に努め、中国には財務長官まで派遣して米国債投資の安全性をアピールするなか、イギリスは特別扱いされないわびしさをかみ締めている。労働党政権時代が末期を迎えた今、この国を支配しているのは憂鬱と不満だ。
ブレアは首相就任から1年後、アイルランドの首都ダブリンでこう演説した。イギリスは「ポスト大英帝国の病から復活」を遂げている、と。当時はイギリス国民にとって最良の時だった。「ニューレーバー(新しい労働党)」「新しいイギリス」という言葉はまだ死語ではなかった。
首相がブレアからブラウンに交代して2年が過ぎた今、労働党政権は12年に及ぶ長期政権になり、ブラウンには「見飽きた感」が付きまとう。議員手当の不正使用をめぐるスキャンダルは政治と政治家への軽蔑に拍車を掛けた。
次のイギリス首相には同情を禁じ得ない。次の総選挙で保守党が勝利しても、12年前にブレア率いる労働党が政権を奪取したときの高揚感、すべてが変わるという感覚はよみがえらないだろう。
あのとき、国民はブレアの言葉に現実味を感じたからこそブレアの言葉を信じた。当時のイギリスは前代未聞の長さに及ぶ好況期に突入し、移民の活力でにぎわい、起業ブームに沸いていた。だが今や、すべてが消え去った。
次の首相(だけでなく、恐らくその次の首相も)には大きな試練が待っている。イギリスという存在を定義し直すだけでなく、かつてのイギリス精神を新たな形で取り戻さなければならない。
[2009年8月12日号掲載]