ゴズリングにアギレラ、スピアーズまで...子役時代の同期たちは大スターに、私は「イチゴも買えないのが辛かった」
Child Star Days
芸能人としても個人としてもさまざまな経験を積んで今の自分があると語るデローチ INDA REID
<1990年代に『ミッキーマウス・クラブ』で人気を集めた俳優のニッキー・デローチ。「サンドラ・ブロックになりたかった」彼女が当時と今を語る──(インタビュー)>
ブリトニー・スピアーズやジャスティン・ティンバーレイクと共に子役スターとして人気をはせたニッキー・デローチ。1990年代前半に彼らと出演したテレビ番組『ミッキーマウス・クラブ』は、さながら「子役のためのジュリアード音楽院」だったと振り返る。
【画像】ブリトニー・スピアーズからクリスティーナ・アギレラ、ライアン・ゴズリングまで、当時の『ミッキーマウス・クラブ』メンバーを捉えた豪華すぎる集合写真
現在44歳のデローチは2児の母。俳優として、テレビシリーズの『Awkward 不器用ジェナのはみだし青春日記』『ノース・ショア』『デイズ・オブ・アワ・ライブス』や映画で活躍してきたが、ブレイクのきっかけは93年に13歳で出演した『ミッキーマウス・クラブ』だ。
幼いスターたちはミュージカルやダンスを披露し、短いコメディーを演じた。デローチの「同期」にはスピアーズとティンバーレイクのほか、ライアン・ゴズリング、ケリー・ラッセル、クリスティーナ・アギレラ、イン・シンクのJC・シャゼイなど輝かしい名前が並ぶ。
今回のインタビューで、デローチは当時を懐かしく振り返った。そして、共演者たちが大スターになっていくことに、彼らほど運に恵まれなかった自分がどんなふうに感じたかも語っている。
「人生で最高の経験の1つだった。エンターテインメント業界の子供をめぐる恐ろしい話は聞いているし、私もあの後は業界の暗黒面をたっぷり経験した。でも、あの番組は特に、いろいろなことをきちんとやっていた」
「ディズニーはカリフォルニア州の児童保護法を逃れるために、制作の拠点を(フロリダ州)オーランドに移した。私たちは働いた。最後の1年は週6日。カリフォルニアなら絶対に許されなかった。朝から晩まで。朝9時から夕方6時半まで。もう少し遅く始まる日もあった」
当時の事情について本誌は6月と7月にメールでディズニーの広報担当者にコメントを求めたが、8月初めの時点で回答は届いていない。
「私たちは子供のままでいられたし、本当に楽しかったから、私は仕事をしていると感じたことはなかった。少なくとも私は。とても安全な環境で、私たちのことを真剣に考えてくれる信頼できる大人たちと、楽しいと思えることをやっていた」
「とても感謝している。本当に、心から。子役のためのジュリアード音楽院みたいで、それだけでなく、やりたいと思うことは何でもできた」
『ミッキーマウス・クラブ』のコーナーの1つとしてメロドラマ『エメラルド・コーブ』が始まり(後に独立したシリーズになった)、デローチも抜擢された。
「20人の出演者から7人くらい選ばれた......私たちは(『ミッキーマウス・クラブ』の)本編の3カ月前にフロリダに入って、終わってからも3カ月残って『エメラルド・コーブ』を撮影した。1年間ずっとフロリダで撮影した。もう天国よ。天国」