24歳年上の富豪と結婚してメラニアが得たものと失ったもの
MELANIA’S AMERICAN DREAM
リュブリャナ大学1年生のとき、メラニアはモデルとして運を試すことを決意し、大学を中退。ミラノとパリを経て、ニューヨークに進出することに成功する。
トランプと出会う前の最大のブレイクは、1997年にたばこ「キャメル」の広告モデルに起用されたことだろう。製造元のRJレイノルズは、「ナイトライフと洗練性と都会的な雰囲気」がミックスしたイメージを求めていたとされる。
タイムズスクエアに登場した巨大ポスターは、ヘルムート・ニュートン風の退廃的で、芝居じみたセクシーさが漂っており、いま見ると恐ろしく時代遅れな感じがする。だが、無表情で、どこか相手を見下すように目を細めたメラニアの表情は、現在に通じるものがある。
トランプと付き合いだしてから、メラニアはニューヨークでの仕事が増えたが、そうでなければモデルとしてのキャリアは早々に行き詰まっていただろう。ニューヨークに進出時の彼女は既に26歳。スーパーモデルの道を歩むには遅過ぎた。
彼女とアパートをシェアしていたという写真家によると、メラニアは美しかったが、代わりが簡単に見つかるタイプのモデルだった。だから、ヴォーグやハーパース・バザーといった高級ファッション誌の仕事が入ることはなかった。「本物の雑誌モデルは、写真に命を吹き込むことができる」と、この写真家は言う。メラニアは違った。
ならば、もちろん金持ちと結婚するしかなかった。とはいえ、なぜトランプと?2人は愛し合っているように見えたと、多くの友人や知り合いは主張している。
「彼女はいつでも彼が神であるかのように見つめ、彼は彼女が女神であるかのように見つめていた」。ファッション写真家で、トランプが所有するジェット機内でメラニアのヌード写真を男性誌GQ掲載用に撮影したアントワーヌ・ベルグラは、そう話している。
ドイツの週刊誌シュテルンの記者ミヒャエル・シュトレクは、ニューヨークのぺントハウスでトランプと会ったときのことを語っている。トランプはメラニアを呼び、シュトレクが全身をくまなく鑑賞できるよう、ターンしろと命じた。そして「素晴らしいだろう?」と言ったという。
「家畜品評会で受賞した雌牛を紹介しているみたいで」居心地が悪かったと、シュトレクは振り返る。
もっとも、メラニアのほうは「居心地よく」感じていたようだ。言葉にできないカリスマ性を求められるモデル業と違って、トランプという人間もその要求も分かりやすかった。メラニアは仕事に臨むときと同じ姿勢で、彼との関係に取り組んだ。ハードワークとプロ精神だ。
メラニアは何より勉強熱心だった。
(ゴーストライターに書かせた)トランプの十数冊もの著書を読破し、元妻や元恋人たちの失敗を研究した。
彼女は決して夫より目立たないよう、夫の根強い習慣に文句を言わないよう心掛けている。公の場以外では離れていることが多いのだから、それも難しくない。「ほぼ接点のない別々の人生を維持することでうまくいっているらしい結婚」。トランプが所有するゴルフ場の従業員らの証言を基に、ジョーダンは2人の家庭生活をそう形容している。