ハリウッド女優たちの悲劇は死後も続く──伝記映画でも本質にはノータッチ
A Myopic Close-up
ヒロインを特別視し過ぎ
これらの伝記映画は、描かれる女優たちへの世間のイメージもいい方向に変える。『ジュデイ』のガーランドは成人した娘ライザ・ミネリと疎遠になり、まだ学校に通う2人の子供には住まいさえ確保してやれないが、 いい母親でいたいという気持ちが物語の軸になっている。モンローは高い志を持った真面目な女優に、グレアムは肉感的で恋多き女というイメージを脱却し、一途なシェークスピア愛読者へと変貌を遂げた。
だが同時に、これらの映画はヒロインへの感情移入をあえて抑えている。ヒロインの才能と美貌に注目するあまり、彼女たちを取り巻く環境と病的な状態が本人特有の問題に見えてしまう。実際には男女間の賃金格差や力の不均衡、女性を性的対象として扱う態度、ハリウッドでの「賞味期限」の短さといった男女格差の産物なのだが。
3作ともハリウッドから遠く離れたイギリスを舞台にしているのは、偶然ではないだろう。
老いていく男性俳優を描く映画がほとんどないのも意外ではない。ハリウッドでは男性俳優は女優ほど早く老け込まないと考えられている。例えば50代後半のケーリー・グラントは『シャレード』で、25歳年下のオードリー・ヘプバーンの相手役を務めた。
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とはいえ映画界の「#MeToo」キャンペーンが示すとおり、ハリウッドでさえ女性への圧力と差別は珍しくない。あまりに多くの女性が自分だけがこんな目に遭っていると思い込み、悪いのは自分だと考えて、黙って恥辱に耐えてきた。だが誰かが沈黙を破った途端、こうした体験の多くが実は、スターか否かに関係なく、誰の身に起きてもおかしくないと分かったのだ。
『ジュディ』で描かれるだダイエットの強制や長時間労働、ピルの服用はガーランドに限った話ではないが、彼女の話しか出てこないので例外のように見えてしまう。
同様に、『マリリン』に登場する重要な映画スターはモンローだけ。『リヴァプール』はグレアムが超大物の元夫(『理由なき反抗』のニコラス・レイ監督)による悪質な中傷キャンぺーンの犠牲者だった可能性を示唆してはいるが、ハリウッド女優たちの不幸な運命に共通する要素には触れていない。
このジャンルの作品はスター女優を生んだより大きな背景ではなく、苦悩する個人の自滅的な習慣ばかり執拗に描きがちだ。女優たちの個人的な闘いにクローズアップすれば確かに興味深いだろう。だが一歩引いて全体像を捉えた方が、より本質に迫れたのではないだろうか。
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