鬼才デヴィッド・ボウイの本棚、覗いてみませんか?
Bowie’s Bookshelf
『荒地』(邦訳・岩波文庫ほか) T・S・エリオット(1922年)
ボウイがエリオットの影響を受けていることに気付いたのは、アメリカの作家ウィリアム・バローズだった。アルバム『ハンキー・ドリー』収録の「8行詩」はエリオットの「うつろな人間たち」に影響されたのかと問うバローズに、ボウイは「エリオットは読んでいない」と答えているが、エリオットを知らなかったとは思えない。ボウイがプロデュースしたルー・リードの「グッドナイト・レイディズ」(1972年) は、タイトルからして『荒地』の第2部「チェス遊び」の最後に出てくるリフレインそのものだ。そしてエリオットも、この一節を『ハムレット』から借りている。この2人にとって、「盗用」は先人との詩的な対話なのだ。だからジェームズ ・マーフィーが「あんたの歌をさんざんパクった」と打ち明けたとき、ボウイは平然と答えている。「盗っ人からは盗めないさ」
『サイレンス』(邦訳・水声社) ジョン・ケージ(1961年)
1970年代半ばからボウイの音楽に多大な影響を与えたのは、ロキシー・ミュージックの シンセサイザー奏者だったブライアン・イーノ。そのイーノに影響を与えたのが、実験音楽の元祖で作曲家のジョン・ケージ。本書には彼の音楽観や回想、潜水艦の設計者だった父親のエピソードなどがちりばめられている。小さな文字や大きな余白の入り交じる愉快なレイアウトは、調和や形に関する常識に挑戦した ケージらしさを反映したものだ。ほかにも「私には言うことがないということを私は言う」といった不思議なスローガンや、「工場を通り過ぎるトラックと音楽学校を通り過ぎるトラックのどちらが音楽的か?」などの問い、イーノの「環境音楽」を予感させる音の本質に関する難解な理論なども収録されている。
『白い黒人』(邦訳・春風社) ネラ・ラーセン(1929年)
妻のイマン・アブドゥルマジドはソマリア出身のイスラム教徒だから、ボウイも人種の問題には敏感だった。1992年4月29日、妻とロサンゼルスに滞在していた彼は、黒人男性ロドニー・キングを暴行した白人警官への無罪評決に端を発する暴動に巻き込まれた。その後に作った「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」は、人種問題の複雑さを真っ向から取り上げた一曲。『白い黒人』の著者ラーセンは肌の色の薄い混血女性で、看護師から作家に転身し、1920年代のニューヨークで花開いたアフリカ系アメリカ人の文化運動「ハーレム・ルネサンス」で中心的役割を果たした。長編小説を3作残し、『白い黒人』は2作目。肌の色の薄い黒人女性が白人と偽って生きる「パッシング」をテーマに、社会の壁を越境することの意味を問い掛ける。
『西洋美術解読事典』(邦訳・河出書房新社) ジェームズ・ホール(1974年)
首に鈴を付けた豚と一緒に描かれた修道士が聖アントニウスであることや、17世紀のオランダ絵画に描かれた頭蓋骨や水差し、ブドウが意味するものを教えてくれる素敵な事典だ。ボウイも伝統美術におけるシンボルの力を愛し、そうしたものをステージやアルバムのジャケット、ビデオで多用した。とりわけ強いこだわりを持って作成したと思われるのが「ラザルス」と「ブラックスター」のビデオ。私たちはホールの解説によって、ボウイが両方のビデオで演じる「目を布で覆った男」が処刑前の聖人か、あるいは霊性やモラルを失った人物かと推測できる。では「ラザルス」に出てくる机に置かれた頭蓋骨が伝えるものは何か? 死を覚悟して最後のアイデアを必死に書き留めようとするボウイ自身の姿に違いない。
『一九八四年』(邦訳・ハヤカワepi文庫) ジョージ・オーウェル(1949年)
近未来のディストピアを描いたジョージ・オーウェルの傑作。結核に苦しんでいたオーウェルは本書を療養先のスコットランドのジュラ島で執筆した。舞台は架空の超大国オセアニアの一部であるエアストリップ・ワンの首都ロンドン。ボウイが幼少時代を過ごした現実のロンドンも、当時はまだ殺ばつとしていた。
ボウイは子供の頃にテレビドラマ『クォーターマス・エクスぺリメント』を見たことを覚えている。そのドラマの脚本家ナイジェル・ニールはテレビ映画版『1984年』を手掛けた(54年12月にBBCで放送)。ボウイはこのテレビ版で『1984年』を知った可能性が高く、もしそうなら心に深く刻み込まれたのは間違いない。
73年、ボウイは大胆にも原作をミュージカルに、そしてテレビ番組にする計画を立てて動きだした。ところが著作権継承者であるオーウェル夫人に拒否された。舞台化のために曲を書き始めていたのに使えなくなったボウイは窮地に陥り、やむなくアルバム『ダイアモンドの犬』に「ビッグ・ブラザー」や「1984年」などの曲を収めることになった。しかし作家のバローズの影響もあって収録中にコンセプトが変わり、むしろチャールズ・ディケンズの孤児物語『オリバー・ツイスト』に似た雰囲気になった。エアストリップ・ワンは「暗黒都市ハンガーシティー」になり、主役は不満を抱えた暴走青年になった。
ちなみにボウイの父は仕事の傍ら、子供のための慈善団体で広報を担当していた。第2次大戦直後のロンドンにあふれていた悲惨な孤児たちの話も、父からしょっちゅう聞かされたことだろう。