ランプの魔法も効かない!? 実写版『アラジン』に拭いきれない嫌な予感
Not Quite a Whole New World
2人の愛(とジーニーの青さ)がめくるめく冒険を彩る ©2019 DISNEY ENTERPRISES, INC. ALL RIGHTS RESERVED. Disney.jp/Aladdin
<CGを駆使した豪華なリメーク版が登場。現代風に味付けされたがインパクトは薄い>
ディズニーアニメの名作の中で、よりによってなぜこの作品を実写化したのだろうか。
異国情緒あふれるアラブ風の街、めくるめくアクション、ピンボールのようにはじけ飛ぶ人や物、動物(と、じゅうたん)の仲間たち。1992年のアニメ映画『アラジン』は、90年代の「ディズニー・ルネサンス」を代表する作品の1つで、手描きの長所を最大限に発揮した。
一方でこの映画は、民族や人種の問題を論じる際の定番の題材にもなった。アメリカのポップカルチャーにおけるアラブへのステレオタイプとイスラム恐 怖症(イスラモフォビア)を定着させた例として、たびたび取 り上げられている。
ディズニー化された中東風の民話を、華やかなCG映像でリメークしても、例えばティム・バートン監督の実写版『ダンボ』のような抵抗感を感じることはないだろう。だが、嫌な予感がすることは否めない。
実写版を手掛けたガイ・リッチー監督は、最大限のスペクタクルを追求している。他のことは全て二の次だ。
筆者は90年代のディズニー・ルネサンスの黄金期を子供時代に経験した世代だから、何かと思い入れが強い。リッチーは、懐かしさに浸りたいが感受性は大人になった私たちミレニアル世代に照準を合わせたようだ。脚本はアニメ版で気になったストーリーの矛盾の多くを解消している。性的な要素は控えめになり、人物像の深みも増した。
【参考記事】アラジン実写版に北欧の王子が登場 「白人のために作られた役」と批判殺到
物語の舞台となる砂漠の王国アグラバーは、実写版ではオリエンタリズムの寄せ集めだ。南アジアと中東と北アフリカの文化を混ぜて、ボリウッドの香りをちりばめた描き方を快く思わない人もいるだろうが、アニメ版のあからさまな人種差別的要素はそぎ落とされている。
実写版ならではの躍動感も感じられる。変身、追跡、衝突、舞踏、パレード、曲芸、体の大きさを自在に変える青い男。そうした魅力的なエッセンスのおかげで、辛うじて及第点の演技や、アラジン役に抜擢されたメナ・メスードとジーニー役のウィル・スミスの精彩を欠いた歌は帳消しになった。
ジャスミン王女も今風のフェミニズム的解釈で描かれており、王女を演じるナオミ・スコットの歌声が、聞き慣れた「ホー ル・ニュー・ワールド」に予想外の余韻をもたらしている。
引き込まれる人物描写
物語を簡単におさらいしておこう。貧しさのあまり盗みをしている青年アラジンは、猿のアブーが唯一の家族で相棒だ。ある日、王宮を抜け出したジャスミンと恋に落ちるが、彼女は王子としか結婚を許されない。そこでアラジンは、ランプの魔人ジーニーに頼んで王子に変身する。しかし、ランプを狙う邪悪な大臣ジャファーが......。