ヒラリー「最強の国務長官」への舞台裏
クリントンの外国での率直な物言いに、大統領が肝をつぶすこともあった。するとクリントンは「この政権にはイエスマンしかいないと嘆いたものだ」と、古くからの知人は言う。「最初のうち、ヒラリーは『彼らが』という言い方をした」。彼ら=政権内部の要人である。「それが『私たち』になるまでには時間がかかった」
クリントンとオバマの絆はCOP15以前の外遊でも深まっていたが、関係が本格的に「私たち」にまで成熟したのはコペンハーゲンだと、側近たちは口をそろえる。
ハイチ大地震で見せた2つの顔
政権内には今も、クリントンは外交に疎いという批判が残る。国家安全保障会議(NSC)のあるメンバーに言わせると、彼女には「戦略的ビジョン」が欠けているらしい。「だが責任はきちんと果たす。まじめで奉仕の精神に満ちた典型的メソジスト派の女の子だ。たくさんの課題をメモして、それを1つずつつぶしていく」
クリントン自身は、そんな批判を気にも留めない。「大事なのは問題を解決すること。課題メモに処理済みのマークを付けることよ」
個々の政策に対する彼女の影響力はかなり強まっている。タカ派的な面を前面に押し出し、それを確実に政策に反映させている。
例えばイランへの対応。就任1年目のオバマが取った「ムチなし・アメだけ」の懐柔政策(クリントンも当初は賛同)を捨て、早期の追加制裁に踏み切るべきだと主張。今やアメリカは、新たな制裁を目的として国連安保理決議を要求している。北朝鮮に対してもクリントンは「戦略的忍耐」で臨み、6カ国協議への復帰と引き換えに新たな譲歩をすることを拒み続けている。
強硬なのは主張だけではない。日程も同様だ。彼女はこれまで忘れられていた地域にも怒濤のように関心を注ぎ、休む間もなく外国訪問を続け、政治家としてのセンスを発揮している(しばらく前にはエストニアの若い外相が緊張しているのを察し、母親のように明るく話し掛けて相手側スタッフの微笑を誘っていた)。
大地震の起きたハイチへの対応でも、クリントンは政権を動かした。地震発生の第一報を聞いたのはアジア歴訪の旅に出たばかりのときだった。ハワイで側近と夕食の席を囲みながら、地震で知り合いが何人も亡くなったと涙ながらに語ったという。
ところが翌朝には「早撃ちガンマン」に変身していたと、アジア担当のカート・キャンベル国務次官補は語る。「別人のようだった。4時間も電話をかけまくり、あれこれ裏で手を回す。あんな仕事ぶりは初めて見た」。その後、クリントンはオバマを説得し、米軍による大規模な救援作戦を実現させた。