「公的保険はすばらしい」は幻想だ
だが、メディケアが医療費を削減できていないのに、メディケアと同じモデルの公的保険にそれを期待できるはずがない。1970〜2007年の受給者一人あたりのメディケアの支出は、年に9.2%づつ増えている(民間保険会社も10.4%増で似たり寄ったりだが、それは医療機関がメディケアのマイナス分を保険会社に転化したためでもある)。
議会は定期的にメディケアの給付対象を拡大しており、医療機関への支払額をいくら抑えても、医療費抑制には限界がある。病院や医師の間ではすでに、メディケアへの請求額を抑制されたせいで提供できる医療サービスに制限が生じているという不満の声があり、メディケア加入者を診察しないケースもある。
エール大学のハッカーでさえ、医療機関への支払い額をメディケアのような低水準にしないかぎり、公的保険は失敗すると認めている。もし民間保険会社と同じように、公的保険が「支払い額を医療機関と直接交渉しなくてはならないとしたら」、市場に参入するのは「非常に困難」だろうと、彼は書いている。ハッカーは、そうした形で公的保険の力を弱める案には反対している。
民間の保険会社は存亡の危機に
対照的に、特別扱いを受ける公的保険の登場は、民間の保険業界を崩壊させる可能性が高い。議会の提案のなかには公的保険加入に条件を加えているものもあるが、加入条件を緩めるべきだという圧力が圧倒的に強くなるはずだ。
保険料の安い公的保険に65歳以下の一部の人しか入れないのはなぜかという疑問が、当然もちあがる。リューイン・グループの調査では、公的保険への加入条件が緩和された場合、民間保険加入者の半数に当たる1億300万人が公的保険に乗り換えるだろうとの試算が出た。民間保険は特別な嗜好品のような存在になるかもしれない。
この流れに喝采を送る人も多いだろう。腹黒い保険会社を追い落とし、一元化された保険を導入しよう──。
だが、保険会社の駆逐が目的なら、なぜその点を直接議論しないのか。医療費が高いのは保険会社のせいではない。彼らは中間業者にすぎない。医療費高騰の真の原因は、縦割りの医療体制と上限のない医療費請求システムだ。
一元化した保険制度の下で医師と病院と患者に厳格な規制を課せば、医療費を抑制できるのか。それとも、さまざまなタイプの保険が価格と質を純粋に競い合うほうが効果があるのか。
今すべきなのは、そうした議論だ。だが本音では、医師も病院も患者も、政府や市場から制約を課せられるなんてご免だと思っている。
アメリカ国民は真の議論を恐れ、現状から目を背けている。議会の対応は、そうした世論をそのまま映し出している。