7歳で癌が発覚した娘の「お腹すいた」に母は涙...余命半年の女性を救った「1人だけの治験」
My Miracle Cure
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研究途中の皮膚疾患薬により癌が寛解した筆者(中央)と両親 CHASE MALACKOWSKI
<ユーイング肉腫という珍しい癌で7歳のときに余命半年と宣告されたが、家族の奮闘により実現した皮膚疾患の薬を使った治験が私の運命を変えた>
私が多くの人の好意により、ある研究途中の医薬品を治療に用いるただ1人の患者になって、今年で18年目になる。
2008年、7歳だった私はあと半年の命と宣告された。病名はユーイング肉腫。骨と軟部組織に発生する珍しい癌の一種だ。手術で片足を切断したが、癌は既に肺に広がっていた。化学療法が始まり、体調は悪化の一途をたどった。私は死に向かっていた。
両親はそれでも諦めなかった。父は私の命を救うことを自身の使命と位置付け、あらゆる人脈を駆使して医学関係者に相談して回った。
ニーブン・ナレイン博士と巡り合えたのは、そのおかげだった。ナレイン博士はベルグヘルス社で「BPM31510」という薬品の研究に取り組んでいた。この薬は、表皮水疱症という全く別の珍しい皮膚疾患の治療薬として研究されていたものだが、私のユーイング肉腫のような悪性度の高い癌にも効果があるのではないかと期待されていた。
治療薬候補を見つけた後も、私たち家族にとっては課題が山積みだった。まず、病院との話し合いが困難を極めた。医療機関は概して、既知の標準的な治療法以外の医療を行うことを嫌うものだ。
厳しい状況にある患者や家族の中には、かすかな望みを懸けて、まだ効果の実証されていない治療法の使用を病院に求める人たちが少なくない。私たちもそうした家族の1つと見なされたのだ。