日本初の飛び入学で「17歳の大学生」になった「物理の天才」 今トレーラー運転手になった根本理由とは
「研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好き」
トレーラー運転手の仕事に専念してから、今年で8年目。
佐藤さんは正社員として家族3人が暮らせる給料をもらい、4年前に千葉県内に一軒家を購入した。週末には、ささやかながら外食もできる。妻の裕子さんは「好きなことができていればいい」と温かく見守る。
研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好きで、教えるのも好きだ。だから今も、知り合いの子供の家庭教師を引き受けている。
2月中旬。中2の男子生徒の家で理科の勉強をみた。学習書には電気抵抗の公式が載っているが、「ぶっちゃけ、この公式なくても解けるよ」と伝える。
「頭を整理すれば、知っている計算で解けるんだよ」とアドバイスすると、生徒は自分で計算を進め、正解を導き出した。「すごいセンスあるね」とほめると、「ぼくも天才になれるかな」と照れ笑いが返ってきた。
もし研究の仕事があれば、たぶん続けていたと思う。でも考えても仕方がない。今は、与えられた積み荷をしっかりと目的地に運ぼう。
「ブレーキは『パスカルの原理』とか、車の運転って結構、物理に関係あるんですよ」。朗らかに笑って、佐藤さんは今日も大きくハンドルを切る。
「飛び入学」した初代合格者3人のその後
千葉大の飛び入学では昨年までに76人が卒業した。卒業後の進路は、大学教員や研究機関の研究員が12人。民間企業への就職は43人で、佐藤さんもここに含まれる。
佐藤さんと同じく初代合格者となった梶田晴司さんは豊田中央研究所に入った。トヨタとともに自動車部品の材料開発に向けた研究などを進めている。
梶田さんは、学生時代に佐藤さんが「物理屋になれなかったら、トラックの運ちゃんになる」と話していたのを今も覚えている。
「ポストや生活が安定せず、研究を諦める人は多い。自分も大学では厳しいと感じ、民間の研究機関に入った。このままだと日本の科学技術はどうなるのかという思いはある」と梶田さんは語った。
もう1人の初代合格者、松尾圭さんは大学で宇宙物理学を専攻していたが、大学院時代に千葉県の政策提案に関わったことで社会科学分野に転向。現在は、千葉市の生活自立・仕事相談センターで相談支援員として働いている。
読売新聞社会部「あれから」取材班
過去のニュースの当事者に改めて話を聞き、その人生をたどる人物企画「あれから」を担当。メンバーは社会部の若手記者が多い。人選にこだわり、取材期間は短くても3カ月。1年近くかけることもある。2020年2月にスタート。ネット配信でも大きな反響を呼び、連載継続中。サイトはこちら