高度成長期を支えたマンモス団地「松原団地」60年の歩み 建て替え進み多世代共生の新しい街へ
コンフォール松原へは2008年から以前からの住民が建替後の住棟に入居する「戻り入居」が始まり、2018年まで10年かけて進められた。そして戻り入居が終了した翌年、2019年には駅から最も遠い松原団地D地区の建物取り壊しが終わり、その後、敷地整備が完了している。
UR都市機構の進める大規模団地の建て替えは松原団地のように中層住棟から中高層住棟へ集約を図り、空地を捻出して売却するという計画が多い。
松原団地でも同様のことが行われ、一連の建て替え事業により空地となった場所については学校や公園などを除き、まちづくりのプランニングをしたうえでプランに沿った事業を計画する民間企業に売却された。主には分譲マンションの建設が多く、若い世代も多く移り住んできた。
「松原団地駅」から改称
松原団地の建て替え事業に付随してもう1つまちにとって大きな変化があった。それが「松原団地駅」の「獨協大学前<草加松原>駅」への改称である。
新駅名に採用された獨協大学は団地の南隣、伝右川を挟んだ位置に1964年に開学した。学園設立80周年を契機に4年制大学を設立したい獨協学園と沿線に大学を誘致したい東武鉄道と意見が合致したことがこの場所への開学の理由だった。
大学内では駅名の改称を求める動きがたびたびあったが、東武鉄道や団地住民が同意しなかった。しかし、コンフォール松原への建て替えが進むと、市民から駅名変更の要望が高まっていく。2015年に草加市商工会議所を事務局とした「松原団地駅名変更協議会」が草加市に「獨協大学前<草加松原>駅」への改称を要望し、要望をうけて草加市と松原団地駅名変更協議会の連名で駅名変更が東武鉄道に要請された。その結果、2016年6月に駅名変更が正式に発表された。
この駅名改称は草加松原団地の「コンフォール松原」への改称とあわせて「団地」という言葉を取り払うものとなった。おそらくは先述のような1990年代から団地のイメージが変化してきたことをうけていると考えられるが、松原団地の時代から地域に住む人の中には複雑な心境の人も少なくないようだ。
では、建て替え事業の終わった現在の旧松原団地エリアをみていこう。
最寄り駅の獨協大学前<草加松原>駅を降り、西口へ出ると、駅前には1999年に再開発で誕生した「ハーモネスタワー松原」がまちのランドマークとしてそびえる。
タワーと一体的に作られた複合施設には図書館のほかにスーパーやプチ商店街的な商店群や公園があり、中を抜けていくと松原団地の旧B地区にさしかかる。
旧B地区にはコンフォール松原の全30棟のうち17棟が建ち、設計にも力が入っているエリアだ。なかでも目立つのは住棟間を東西に延びる幅12mの歩道(緑のプロムナード)である。歩道を挟む住棟は6階建てと低く、広々とした空間を演出している。
プロムナードを東西軸に、南北軸として2つの「風のみち」、もうひとつの東西軸として松原団地時代からあった緑道が通る。