「精緻で美しい奇跡」ノーベル賞作家ハン・ガン『別れを告げない』、米メディア書評
Han Kang’s Great Unerasing
チャンと同じように、キョンハとインソンも歴史に埋もれた人々を捨て身で忘却から救い出そうとする。
2人が風化を阻もうとしている悲劇の規模に比べると、インソンの頼みは一見ささやかだ。病院に駆け付けたキョンハにインソンは、済州島の家に残したペットのインコが喉の渇きで死なないように、助けに行ってくれと頼む。
だが折しも済州島は猛吹雪。キョンハが雪をかき分け山深いインソンの家に向かう間に、小鳥の命は失われる。
このあたりから、現実と非現実の境が曖昧になる。
キョンハは森で道に迷い、凍死したのかもしれない。あるいはインソンの家に何とかたどり着いたが小鳥は死んでおり、小鳥を埋葬した後、眠りに落ちたのかもしれない。
目覚めると死んだはずの小鳥は生きていて、インソンが台所でかゆを作っている。これは初めてのことではない。インソンは高校生の頃に家出をして事故に遭い、意識がないなか、母の前に生き霊のように現れたのだ。『別れを告げない』は夢と幻の物語で、安易な解釈を寄せ付けない。
キョンハの前に現れたインソンは、済州島四・三事件で犠牲となった家族の歴史を語る(1948年、南北分断に反対し蜂起した島民を軍や警察が虐殺。弾圧は6年続き、死者は3万ともいわれる)。
虐殺が起きたとき、インソンの母とその姉は10代だった。殺害を逃れた姉妹が両親を見つけようと、たくさんの遺体の顔から雪を払って歩く場面は忘れ難い印象を残す。