映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』内戦で崩壊したアメリカを体感せよ
Dropped Into Violent Chaos
首都への道すがらガソリンスタンドで自警団と一悶着あり、廃墟となった遊園地では銃撃戦に巻き込まれる。先には有色人種を嫌う過激派の男(演じるジェシー・プレモンスはダンストの夫)との息詰まる対峙も、待っている。
ガーランドは何の説明もなしに観客を内戦の渦中にたたき込むという大胆な手に出た。そのカメラをどこに置き、緊迫の場面をどれだけ引き延ばすかといった映画的センスは、随所で光る。
民間人の殺し合いや拷問、人間性の堕落が強烈に表現されるため、見ていて心も体も消耗する。だがガーランドが何を追求したかったのかは、最後までよく分からない。
これは今のジャーナリズムの在り方に対する批評なのか、それとも最前線で体を張る記者への賛歌なのか。テーマがその中間にあるのなら、ガーランドは自分をどこに位置付けるのか。主人公たちが時折見せる道義的に怪しい行動を、観客はどのように捉えればいいのか。
過剰にスリルを求めるアドレナリン中毒のジョエルとジェシーは、市街戦や処刑を取材しながらにやりと笑う。
また一行は後半で、特に冷酷な反乱勢力と行動を共にする。これが記者魂が地に落ちたことを示すのか、それともジャーナリズムを生き永らえさせるための譲歩なのかは、明確にするべきだろう。
米国を象徴する「問い」
つじつまの合わない点もある。インターネットも産業インフラも崩壊したのなら、ジョエルが発信する記事やリーが何時間もかけてアップロードする写真を一般人はどうやって見ているのか。
ここにジャーナリストのご都合主義への風刺を込めたのなら、21世紀の戦争報道を取り巻く現実をもっと具体的に見せてほしかった。今は記者が戦場でかつてない命の危険にさらされる時代なのだから、なおさらだ。
「おまえは、どの種類のアメリカ人だ?」。迷彩服と赤いサングラスを身に着けたプレモンスのキャラクターが、記者の一人一人に銃を突き付けて尋ねる。この映画で最も恐ろしく、秀逸な場面だ(これはまた、内戦の大本に人種差別があることを最も強くにおわせる場面でもある)。
架空のディストピアから比喩の要素を剝ぎ取り、今まさに多くのアメリカ人が互いに、そして自分の胸に問いかけている質問を提示したという意味で、これは今回最も鋭いセリフかもしれない。
プレモンスのくだりがはっきり示すとおり、武器を手にした瞬間、この質問は会話の糸口ではなく罠となる。
『シビル・ウォー』は観客に、リアルすぎる悪夢に閉じ込められた気分を何度も味わわせる。しかし2時間弱で悪夢から解放された観客は、映画について大いに語り合いながら劇場を後にするだろう。
Civil War
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』
監督/アレックス・ガーランド
主演/キルスティン・ダンスト、ワグネル・モウラ
日本公開中