俳優・大野拓朗、日英共同制作のミュージカル『太平洋序曲』で海外初舞台、さらなる高みへ
Takuro Ohno
一俳優として ロンドン公演でペリーと交渉する奉行所の役人を演じた大野 MANUEL HARLAN
<2010年にデビュー、映画、ドラマや舞台で活躍する俳優の大野拓朗(35)。19年にはアメリカへの語学留学も経験、かねてから世界進出の夢を抱く大野に話を聞いた>
昨年11月から今年2月までロンドンで上演された日英共同制作のミュージカル『太平洋序曲(Pacific Overtures)』で、海外初舞台を踏んだ。
今後はイギリスで本格的に俳優としてのキャリアを磨きたいと語る大野に、本誌・知久敏之が話を聞いた。
──初めての海外公演は難しかった?
とても大変だった。自分の英語はネイティブレベルではないし、この作品は歴史をテーマにした時代劇のようなものなので、そのニュアンス、イントネーションを英語で演じることが難しかった。
劇中の歌も(スティーブン・)ソンドハイム作曲の難解な曲で、英語ネイティブでも歌うのが難しい楽曲ばかり。そのハードルも高かった。
──現地の観客の反応は?
すごく手応えがあった。メニエール・チョコレート・ファクトリー劇場では、楽屋口にバーエリアがあって、お客様から「よかったよ」「素晴らしかったよ」と声をかけられたり、たまに一杯ごちそうしていただいたり......。
すごくフランクな環境で感想を直接耳にして、批評家にもたくさん評価してもらった。
もともとは、英語文化を深く理解し、英語をもっと自由自在に使えるようになってから、英語での芝居をしたいと思っていた。
一つ一つのセリフについて、どうしてこの言葉を使って、この言い回しをして、キャラクターが何を伝えたいのか、それらを理解していないと芝居ができないという思いがあったから。
だから今回、この作品で評価してもらえたことはうれしい半面、自分ではやっぱりまだまだだと再確認できた。もっともっとやらなければならないことがたくさんあるな、という学びになった。
──俳優になる前から海外志向はあった?
小さい頃から、親と一緒によく海外映画を見ていた。その影響か、海外に住んだり世界中を飛び回る仕事がしたい、という目標が漠然とあった。
俳優になってからは、仕事をするのが楽しくて、一生懸命に20代を走ってきた。30歳になるときに人生を振り返ってみると、「そういえば世界を飛び回りたいって言ってたのに、全然英語しゃべれないな」と。
海外での仕事で現地のスタッフさんと英語で話せないのが悔しかったこともあり、思いが強くなっていった。