科学者「オッペンハイマー」を描く試みが不完全...原爆と水爆の違いも説明せず...映画に感じた「不満」
SCIENCE VS NARRATIVE
原爆と水爆の違いも説明せず
ノーランは原爆のパーツや、マンハッタン計画の舞台となったロスアラモス研究所(現ロスアラモス国立研究所)の雰囲気などのディテールもうまく描いている。
ところが、これらの研究所で行われた科学の説明はかなりあっさりしたレベルに抑えられている。とりわけ原爆の科学的なプロセスについての言及はゼロに近い。どうしても説明が避けられない場合も、後のシーンとつじつまを合わせるレベルだ。
1944年にちょっとした危機を引き起こし、核開発の方向性を変更させることになったたプルトニウム240の問題については、言及すらされていない。
ロスアラモスを離れてからのオッペンハイマーの人生は、水素爆弾の開発に反対する立場によって大きく揺れ動くことになる。それなのに、マンハッタン計画で開発された核分裂兵器(原子爆弾)と、第2次大戦後に物理学者のエドワード・テラーや原子力委員会のルイス・ストローズ委員長らが開発の必要性を唱えた熱核融合兵器(水素爆弾)の違いも、十分に説明されることはない。
原爆と水爆は科学的にも、技術的にも、道徳的にも異なる兵器だ。それが全く明らかにされないから、史上初の核実験というクライマックスの次にやって来る映画の第3幕、すなわちオッペンハイマーが水爆の開発に反対し、それが彼の人生の転落と、兵器開発コミュニティーの分断を引き起こしたくだりも、科学的な事実と切り離されて進行する。
だが『オッペンハイマー』にはスムーズな進行のために科学的な説明を省略する以上に、科学を軽視している部分がある。例えば、カリフォルニア大学バークレー校の同僚だったフランス文学者のハーコン・シュバリエが「君にはわれわれには見えない世界が見える。それには代償が伴う」とオッペンハイマーに語るシーンがある。
「心を病む天才」のパターン
映画の多くの場面で、そしてよく知られる伝記でも、オッペンハイマーはギリシャ神話に出てくる男神プロメテウスになぞらえられる。神々を欺いて人類に火を与えたために、半永久的に拷問を受ける代償を払うことになった神だ。だが、シュバリエが言う代償は、プロメテウスの払った代償とは異なる。
ノーランによるオッペンハイマーの描き方は、実のところ同じギリシャ神話でも、プロメテウスよりもイカロスに近い。ロウでできた翼を得て、太陽に近づきすぎたために転落した青年イカロスのように、オッペンハイマーは純粋に科学を追求したがために人生に失敗する無垢な男として描かれているのだ。