AIには作れない奇才監督の最新作『アステロイド・シティ』の「もう一度みたくなる」謎
A World Going Beyond AI
しかし、ストーリーはさまざまな方向に拡散し、大勢の脇役が登場する。ほかの受賞者の親(リーブ・シュライバー、ホープ・デービス)、遠足を引率している教師(マヤ・ホーク)、ギターを爪弾くカウボーイ(ルパート・フレンド)、快活なホテル支配人(スティーブ・カレル)......。ほんの少しだけだが、オーギーの亡き妻の父親(裕福な弁護士)の役でトム・ハンクスの顔も見ることができる。
やがて、アステロイド・シティでとんでもない大事件が勃発。町は無期限の封鎖状態に置かれる──。
この急展開を境に、映画の雰囲気が変わり始める。より奇妙で、よりまとまりを欠くようになるのだ。そして、砂漠の町に閉じ込められた面々の白黒映像の世界での人生が明らかにされるにつれ、2つの世界が混ざり合っていく。
もう一度見たくなる映画
アンダーソンの1998年の2作目の長編映画『天才マックスの世界』では、当時ティーンエージャーだったシュワルツマンが母親を亡くした早熟な高校生を演じていた。
それから25年後の『アステロイド・シティ』では、同じような境遇のティーンエージャーの父親役にシュワルツマンが起用されている。この点については、アンダーソンが四半世紀たっても、進歩していないと言うこともできるし、ライフワークにしているテーマに再挑戦したと評価することもできるだろう。
『アステロイド・シティ』のストーリーラインの多くは、最近の映像作品では珍しく、全てが描かれないまま終わっている。だが作品内で描かれている要素だけでも、考えさせられる点が多い。私はこの映画を見た後、一日中ずっと考え続けて、さまざまな点を再確認するためにもう一度見直したいと思わずにいられなかった。
最近、ソーシャルメディアでは「アンダーソンっぽい」ミニ動画を投稿することが流行している。AI(人工知能)で作られる場合も多い。アンダーソンはあるインタビューで、この流行をどう思うかと尋ねられた。
すると彼は、こう答えた。「私がやりそうなことを他人が推測したものは、あまり見たくない。私自身が同じような作品を作ろうとしないとも限らないから」