「ジャニーズ神話」が死んだ日...潮目が変わった「公然の秘密」性加害タブー
THE END OF THE MYTH
「世界中に幸せをお届けする」という信念を掲げるジャニーズ事務所のロゴ KIM KYUNG-HOONーREUTERS
<最後までインターネットの世界になじめなかった、ジャニー喜多川。性被害者の訴えと社会の批判に本気で向き合わなければ、世界からも取り残される>
かつてジャニーズJr.(ジュニア)に属していた橋田康(37)は、20年以上も前に受けた性的暴行のことを今も忘れられない。
当時の彼はまだ13歳か14歳。ある晩、公演先のホテルでJr.仲間の少年と同じ部屋で寝ていた。するとドアの鍵が開く音がして、そっとベッドに近づいてくる足音が聞こえた。ジャニーズ事務所社長(当時)のジャニー喜多川だった。
橋田の体は恐怖で凍り付いた。すると喜多川は、マッサージで彼の体をほぐし始めた。長かった。そして「僕が疲れて、フッと力が抜けた瞬間、下着を下げられた」。
終わると喜多川は隣のベッドへ移った。その少年が何かをされている間、橋田はずっと寝たふりをしていたという。やがてドアが再びガチャッと鳴る音がして、喜多川は去った。
「自分にとっては初めての性体験」だったと橋田は言う。喜多川がいなくなると、彼はベッドから抜け出しバスルームへ駆け込み、シャワーを浴びてただただ泣いた。涙が止まらなかった。「傷ついたというより、ショックとパニック」だった。
翌朝、喜多川は再び部屋に来て橋田をバスルームに呼び、「これ」と言って1万円札を渡した。「自分の価値は1万円なんだと思った」と橋田は語る。
長らく日本の芸能界に君臨し、名伯楽と称された男による性加害問題については1960年代から報じられていた(本誌も2005年に取り上げた)。
40年以上東京で暮らすコラムニストで作家のマーク・シュライバーに言わせると、「それは公然の秘密」だった。80年代からは次々と告発本が出された。その内容は、どれも驚くほど似ていた。
例えば初代ジャニーズのメンバーである中谷良は、11歳のときに喜多川から性的な行為を受けたという。その体験は長じても自分の恋愛観に大きな影響を与えたと中谷は書いている。
恋愛はすなわち「射精する行為」だと、ずっと思い込んでいた。被害者たちはトラウマを抱え、違法行為に走る者もいた。
喜多川への非難がピークに達したのは99年。週刊文春が元Jr.12人による告発の連載を始め、ニューヨーク・タイムズ紙が批判的な記事を掲載するなど、海外メディアからも注目された。日本では国会の審議でも取り上げられた。
すると喜多川側は出版元の文藝春秋を名誉毀損で訴えた。裁判では被害者12人のうち2人が証言台に立ったにもかかわらず、一審の東京地裁は喜多川を支持し、02年に文藝春秋に880万円の賠償を命じた。
だが03年には二審の東京高裁が「セクハラに関する記事の重要な部分については真実」と認定し、賠償額を120万円に減額した。喜多川は上告したが、棄却された。