新イスラエル映画の迫力度
現実では見えない敵をのぞき見る
『アジャミ』では、アラブ人のコプティとユダヤ人のヤロン・シャニが共同監督を務めている。どちらも映画監督は初めてだが、そこに住むアラブ人とユダヤ人の複雑な関係を冷静に描き出す。
大都市テルアビブの片隅で起きた出来事をテーマにしているにもかかわらず、そのストーリーには普遍的な魅力がある。「ナポリやミラノの路上でも、どこででも起こり得る」と、カンヌ監督週間の芸術監督ボワイエは言う。
出演者にはアジャミ地区に住む一般人を起用した。主な会話はアラビア語で、ところどころヘブライ語が使われる。キャストがストーリー展開をそのまま経験できるよう、ほぼ全シーンが順番どおりに撮影された。そうやって出来上がったのが、ドキュメンタリーさながらの迫力ある映画だ。
こうした映画は大勢の観客が見てこそインパクトを持つ。『アジャミ』は9月17日にイスラエルで公開され、配給会社によればまずまずの興行成績を挙げている。
必ずしも誰もが好きになるわけではない。ある試写会ではユダヤ人観客が、イスラエル映画なのにアラビア語ばかり使われていると不満を言っていた。だがイスラエル社会のどん底を容赦なく描いたこの作品は、話題を呼んでいる。
それでも『アジャミ』や『レバノン』がヨルダン川西岸地区で上映される可能性は薄い。『戦場でワルツを』は西岸のラマラで短期間上映されたが、パレスチナ人映画プロデューサーのジョージ・クレイフィは、パレスチナ人はイスラエル映画全般に「興味がない」と冷たく言い放った。
多くのパレスチナ人は内心、こうした映画がイスラエルとパレスチナの歩み寄りを促すのではと恐れている。コプティはそんな考え方を一笑に付す。「文化のボイコットには反対だ。(映画は)人々に残された唯一の懸け橋だ」
対立のやまない中東で、『アジャミ』や『レバノン』は、「敵側」をのぞき見るめったにないチャンスを、イスラエル人とパレスチナ人の両方に提供している。
[2009年10月21日号掲載]