コメ不足なのに「減反」をやめようとしない理由...政治家・農水省・JA農協の歪んだ関係
農協と農水省を解体すべき
事態を改善する方法として、三つの道がある。
一つは、JA農協の解体である。農業協同組合法、水産業協同組合法、消費生活協同組合法、中小企業等協同組合法の4つの協同組合法を全て廃止して、共通の一般協同組合法を作ることである。
農協法の前身の産業組合法は、そのようなものだった。新しい協同組合には、金融事業を兼務することは認めない。農業金融のための協同組合が必要なら、今のJA農協から金融部門を独立させ、一般協同組合法の下で、農業信用協同組合を作ればよい。
信用組合等があるので必要なのかどうか分からないが、准組合員の金融機関が必要なら、地域信用協同組合を作ればよい。これによって零細な兼業農家を温存するために、減反・高米価を続ける必要はなくなる。
もう一つは、農林水産省の解体である。JA農協が政治力を発揮できるのは、同省の存在があるからである。これがなくなれば、農政トライアングルは消滅する。
戦前の農林省は、小作人のために地主階級の利益を代弁する帝国議会と対立した。70年頃まで構造改革を主張する同省は零細農家を温存したいJAと対立した。農政トライアングルの一員となり、国民の利益ではなく既得権者の利益しか考慮しなくなった農林水産省の終活をするときが来た。
これは農業振興のためにもなる。大手食品会社幹部に、オランダはなぜ世界第2位の農産物輸出国に発展したのかと聞かれ、私はとっさに「農業省を廃止し経済省に統合したからです」と答えた。オランダは政府による無償の農業技術指導を廃止して民間のコンサルタントによる技術支援に移行した。
技術の高い農家は、お金を払ってでもより高い技術指導を求める。高い技術指導を受けるためには、収益が高くなければならない。そうした農家の技術や収益は技術指導でさらに高まる。農業を弱者だとか特別だとする発想では、農業は発展しない。オランダは高い技術で世界トップクラスの輸出国となった。
重要なことは、国民が食料・農業政策にもっと関心を持つことである。その関心が薄れた結果、食料・農業政策は国民の生命・健康に大きな影響を与えるものなのに、農政トライアングルの狭い世界だけで決まられてきている。
今回のコメ騒動でも、これだけ国民生活に影響を及ぼしているのに、米価を下げたくないという視点が農政トライアングルにとっては最も重要となる。
国民の多くは、戦前のように農家は貧しいと思っているので、農家所得向上のために高米価や補助金が必要だと言われると納得してしまう。しかし、農家だから貧しいという現象は1960年代半ばに終わっている。所得の低い一般国民の税金で所得の高い農家への所得補填が行われている。
辛い汚い作業のはずの稲作も、今では機械を使うので標準規模の1ヘクタールの水田なら年間27日働くだけで十分だ。農家特にJA農協の利益は最重要事項だが、こども食堂やフードバンクを利用する人たちのことを農政は考慮しない。
減反・高米価政策に政治は無関心
かつて自民党農林族は生産者米価引上げを政府に強硬に要求した。政治の暦の中で7月はまさに米価の季節だった。しかし、江藤氏など自民党農林族が悪いからといって、立憲民主党、国民民主党、共産党がましかというと逆である。
これらの野党も、いまだに農業保護の視点を最優先する。食管制度の時代、米価を自民党が5%上げろと言うと、民主党の一つの前身だった社会党は10%上げろと言い、共産党は15%上げろというような図式だった。与野党問わず、農業政策と言うと農家票がまず大切に思えるのである。
食料品の消費税ゼロ税率で党内が盛り上がっている立民党も減反・高米価政策には無関心である。
今の選挙制度では、数の上では少ない特定の既得権益を持っている人たちの意見が反映されやすい。衆議院は小選挙区制、参議院も地方区は都市部を除いて一人区である。
二人の候補者が50対50で競っているときに、少なくなったといえ、JA農協が組織する2%の票が相手側に付くと、48対52と4%の差がついてしまう。
これを回復することは容易ではない。現に、自民党は全体では圧勝したものの、農業の盛んな東北・新潟・長野の参議院地方区では、農政に対する不満もあって1勝7敗(2016年)、2勝6敗(2019年)と惨敗したことがあった。
米価が低迷したこともあって、コメどころの新潟県での2024年衆議院選挙では全5選挙区で自民党は敗北した。これに国会議員はおびえる。
地方選出の国会議員は、選挙で当選するためにはJA農協の言うことを聞かざるをえない。TPP交渉に参加するかどうかが大きな争点となったとき、JA農協はTPP反対の運動を展開した。
選挙で自民党に投票した有権者の多数はTPP賛成だったのに、選挙で選ばれた自民党議員の大多数はTPP反対を主張した。JA農協の小さな既得権益が国民全体の大きな利益に優先してしまう。
既得権益を足しあげても国民全体の利益にはならない。むしろ、減反政策に見られるように、既得権益は国民全体の利益からすれば、マイナスの利益である。