最新記事
半導体

「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視野に入れた「本当の理由」

2024年5月2日(木)14時05分
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

米国の知財弁護士でTSMCのCLOを12年務めた杜東佑(と・とうゆう)は、米国のエレクトロニクス技術専門メディア「EETimes」の取材を受けた際に、TSMCは2005年から、IBMのマイクロエレクトロニクス事業の買収を5度にわたり試みたと明かしている。

そのなかには、ニューヨークにあるIBMのウエハー工場の買収計画もあったが、台湾にソフトウェアに関する権利の侵害事例の記録があったという些細な理由で、米国防総省とIBMが高度な技術の流出を懸念し、結局は白紙になった。

杜東佑は、2005年からモリス・チャンと一緒に米国の製造拠点を探し始めた。当時検討していたIBMの工場には、ニューヨーク州の南に位置するイースト・フィッシュキルという集落の工場と、その近くのポキプシーという町の工場があった。

だがIBMとTSMCの交渉のなかで何が最大の障壁になっていたかというと、米国側が機密技術の外部流出を懸念していたことだった。

IBMの工場は米国防総省の下部組織の国防高等研究計画局(DARPA)の「Trusted Fabs(信頼できるファブ)」に指定されていたため、米軍から軍需用チップを受託製造できる権限を与えられていた。

よって、TSMCとの交渉中にIBMとDARPAは、こうした機密技術は彼らの同意がなければアジアに持ち出さないという確約をTSMCから是が非でも取り付けたかった。

杜東佑の話を聞く限り、当時の米国人の目には「台湾は中国である」と映っており、TSMCが5度交渉してもIBMの工場を買収できなかった大きな原因になっていたようだ。

IBMはその後、自社工場の継続を断念して米国の半導体メーカー複数社と交渉し、最終的に2014年10月、米国市場を主戦場とするグローバルファウンドリーズに売却した。

このニュースが報じられた翌日、モリス・チャンは台湾メディアの取材に対し、IBMと1年以上も前に交渉したが価格などで折り合いがつかず、合意には至らなかったと話している。

モリス・チャンは、「グローバルファウンドリーズはエンジニアを欲しがっていたし、技術的にもTSMCにかなり後れを取っていたため、IBMの人材と技術を吸収できるかどうかも大きな問題だった。よってTSMCに与える影響は小さい」との見方を示した。

これについては、「ウォール・ストリート・ジャーナル」が2014年4月に早くも、複数の関係者の話として、TSMCはすでにIBMの工場の買収交渉を打ち切っており、そもそもTSMCはIBMの研究開発部門が欲しかっただけで、工場の生産ラインを増やすことにはあまり乗り気でなかったと報じている。

こうした経緯を見ると、2005年の時点ではIBMの工場の獲得に意欲を示していたTSMCが、なぜ2014年に買収対象をIBMの研究開発部門に絞ったのかを容易に推察できそうだ。

この間にTSMCはウエハー製造効率でもコスト面でもほとんどの企業を大きくリードし、技術の研究開発でも他社に先行し始めていたが、IBMには依然として研究開発で強みがあった。それがTSMCの欲していたリソースだったということだ。


林 宏文(リンホンウェン)
ハイテク・バイオ業界の取材に長年携わりながら経済誌『今周刊』副編集長、経済紙『経済日報』ハイテク担当記者を歴任し、産業の発展や投資動向、コーポレートガバナンス、国際競争力といったテーマを注視してきた。現在はFM96.7環宇電台のラジオパーソナリティやメディア『今周刊』、『数位時代』、『?科技』、『CIO IT経理人』のコラムニストとして活躍中。著書に『競争力的探求(競争力の探究)』、『管理的楽章(マネジメントの楽章)』(宣明智氏との共著)、『恵普人才学(ヒューレット・パッカードの人材学)』、『商業大鰐SAMSUNG(ビジネスの大物サムスン)』など多数。


newsweekjp_20240501080905.png


TSMC 世界を動かすヒミツ
 林 宏文[著]
 野嶋 剛[監修]牧髙光里[訳]
 CCCメディアハウス[刊]

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:高級ブランドがビットコイン決済、新たな富

ビジネス

米国株式市場=上昇、PCE前月比の伸び鈍化受け 週

ワールド

バーFRB副議長、トランプ氏による解任に備え助言求

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、PCEの伸び鈍化受け
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:アサド政権崩壊
特集:アサド政権崩壊
2024年12月24日号(12/17発売)

アサドの独裁国家があっけなく瓦解。新体制のシリアを世界は楽観視できるのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──ゼレンスキー
  • 4
    【クイズ】世界で1番「汚い観光地」はどこ?
  • 5
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 6
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達し…
  • 7
    【駐日ジョージア大使・特別寄稿】ジョージアでは今、…
  • 8
    国民を本当に救えるのは「補助金」でも「減税」でも…
  • 9
    クッキーモンスター、アウディで高速道路を疾走...ス…
  • 10
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 1
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──ゼレンスキー
  • 2
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いするかで「健康改善できる可能性」の研究
  • 3
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達した...ここまで来るのに40年以上の歳月を要した
  • 4
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医…
  • 7
    ウクライナ「ATACMS」攻撃を受けたロシア国内の航空…
  • 8
    電池交換も充電も不要に? ダイヤモンドが拓く「数千…
  • 9
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 10
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「…
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼンス維持はもはや困難か?
  • 4
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 5
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 6
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 7
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 8
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 9
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
  • 10
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中