「ポスト黒田」に「植田新総裁」が望ましい訳──世界最高の経済学を学んだ男の正体
The Unexpected Man
従来の日本社会の通例では、議論の時には反対しても採決の時には決定に賛成するという考え方がある。藤原作弥副総裁からの植田委員に対する決定を考え直してほしいという働きかけが、議事録では「勧誘」という言葉で記録されている。いかにも日本的な状況ではあるが、今の時点から見ると、中原、植田両氏の意見が採用されていれば、日本経済の落ち込みはより少なく済んだだろうと推測される。
自分が熟考したことは表明させてほしいという植田委員と、それを全面的に支持する中原委員の言葉が生々しく議事録から伝わってくる。いつもは穏やかな植田氏のバックボーンがよく表れており、これがこれから日銀総裁として最も大事な資質だと思う。
現状維持か「伝統」復活か
さて、植田氏の新総裁就任が国会で承認されたとき、その金融政策はどのような形となるであろうか。
1998年に新日本銀行法が施行され、政策委員会が最高意思決定機関として明確に位置付けられた。法改正の眼目は中央銀行の独立性を日銀に与えることだった。本来、経済政策の目標を決定するのは政府であり、政策手段の決定の独立性が日銀に与えられるはずであったが、日銀は目標も決められると解釈し──金融緩和に理解のあった福井俊彦元総裁を除くと──法改正後の速水総裁は金融引き締めを優先させる政策を取った。90年前後のバブル経済を終わらせることは確かに必要だったが、それにしても引き締めが長続きしすぎた。
そして08年にリーマン危機が発生し、危機下の諸外国がなりふり構わずの金融緩和を行ったにもかかわらず、金融危機そのものが起きなかった日本では、産業界が円高に苦しまされた。
「アベノミクス第1の矢」の金融緩和政策を具体的に遂行した黒田総裁は、円高にすぎる政策からの脱却で日本経済を救った。その結果、第2次安倍内閣が発足した12年末から新型コロナウイルスが日本を襲う直前の19年半ばまでに、総務省によると日本の勤労人口が約500万人(東京ドームの収容人員の約100倍に当たる)増加したのである。
短期金利がゼロになっているため、異次元緩和の主たる手段は国債の日銀買い入れによって行われたが、16年には政策手段が短期金利の調整からイールドカーブ調整(長短金利操作)へと変更された。