戦略なきツイッターの命運が尽きるとき
140文字で「つぶやく」サービスは一世を風靡したが、魅力的なライバル続出で人気は右肩下がり
山は越えた? ユーザー数を3億人の大台に乗せた後は伸び悩むツイッター Chris Ratcliffe-Bloomberg-GETTY IMAGES
ツイッターが伸び悩んでいる。それはこの会社が、本質的に大きな問題を抱えているからだ。
ツイッターはテクノロジーブームに乗って、たまたま大ヒットしたオモチャのようなもの。絶えず進化を続けるフェイスブックや、画期的な配車アプリでタクシーの在り方を変えつつあるウーバーとは全然違う。
大成功しているテクノロジー企業は、何らかのビジョンに基づき設立される。創業者が何らかの問題を解決したり、物事のやり方を変えるテクノロジーを発明して、それを広めるために会社を立ち上げるのだ。
ツイッターは違う。どちらかといえば偶然ヒットしただけなのに、創業者は自分たちが賢いから成功したと思っている。だからいま苦境に立たされても、どうしていいか分からない。
ポッドキャストの会社オデオを運営していたエバン・ウィリアムズの支援を受けて、起業家のジャック・ドーシーがツイッターを立ち上げたのは06年7月のこと。ドーシーはかねてから、携帯電話のSMS(ショート・メッセージ・サービス)を使って、自分のやっていることを不特定多数の人に発信できたら面白いと考えていた。
テキスト版のラジオ放送のような感覚だが、06年7月というタイミングが絶妙だった。ちょうど文字入力をしやすいキーパッド付きのスマートフォン(スマホ)人気が急拡大。だが現在のようなアプリはなかったから、SMSベースのツイッターに注目が集まった。
フェイスブックは04年に設立されていたが、当時はまだパソコンからの利用が主流。スマホ経由では使われていなかった。アップルの初代iPhoneが発売されたのは翌07年のことで、まともなアプリはなかった。こうした環境がツイッターの爆発的拡大を後押しした。
07年半ばまでにツイッターは急速に拡大。ウィリアムズはツイッターをオデオから分離して、ドーシーらと共に「共同創業者」の肩書を得た。だが創業者の誰一人として、ツイッターという未来ある赤ん坊をどう育てていいか分からなかった。
社内人事のゴタゴタも
筆者は08年にウィリアムズの話を聞く機会があったが、このときも明確なビジョンはなかった。「この電車を動かしているのは私ではないのは確かだ」と、ウィリアムズは言った。「ただ、線路がどこに向かっているかを見極めようと努力している」
そうこうしている間に、ツイッターの優位は縮小していった。写真共有アプリのインスタグラムや、写真付きメッセージアプリ(ただし開封後に自動削除される)のスナップチャットなど、魅力的なソーシャルメディアが続々と登場して人気を博するようになった。