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3.11 日本の試練
日本を襲った未曾有の大災害を
本誌はどう報じたのか
ボランティアは押し掛けていい
震災直後なぜか広まった「迷惑論」。被災者は至る所で悲鳴を上げている
被災地にボランティアをしに飛んで行きたいが、いま行けばきっと迷惑がられる。今回の大震災ではそう考え、被災者の力になりたいという多くの人たちがボランティアを自粛している。
だがボランティアが駆け付けることは、被災者にとって本当に迷惑なのだろうか。被災地では今、人手が圧倒的に足りていない。自宅から泥をかき出せずに避難所暮らしを続ける人、自宅から出られず物資を受け取れない人、心に負った傷に気付いてさえもらえない人──被災者は至る所で悲鳴を上げている。
ボランティアに行きたい人も、来てほしい人も確実にいる。それなのに人々が自粛するのは、阪神淡路大震災など過去の事例にあまりに縛られているからだ。
今回の地震直後、メディアは一斉に阪神淡路大震災でボランティアの大洪水が起き、寝る場所や食事を確保せずに駆け付ける人がいたことを蒸し返して「まだ行く時期ではない」「自己完結できない人は現地の迷惑になる」というボランティア専門家の意見を紹介した。
だが今回の被災地は阪神淡路大震災より広範にわたっており、そもそも何倍もの数のボランティアが必要なはずだ。「ボランティアは押し掛けていい」と、関西学院大学災害復興制度研究所長の室﨑益輝教授は言う。「それなのにボランティアの足にブレーキがかかっている」
「迷惑ボランティア」という言葉もあるが、そもそもボランティアのマナーと、通常の社会生活でも必要な最低限のマナーに違いはない。日本災害救援ボランティアネットワーク理事長の渥美公秀は、悪気なく迷惑を掛ける人がいたら「注意すれば済む話だ」と言う。小さな懸念から行くこと自体を遠慮して断念しているのだとしたら、被災者にとってはそれこそ「ありがた迷惑」だ。
室﨑によれば、阪神淡路大震災でボランティアの洪水を迷惑がったのは被災者ではなく、大量に来られたら登録や名簿作りの対応ができずに困る行政だった。現在もボランティアの主要な受け入れ先である各被災地の社会福祉協議会はこぞって応募資格を「制限」している。彼ら自身も被災したため受け入れる余裕がないからだが、受け入れ態勢は整っていなくても「被災者ニーズ」はあふれ返っている。
迷っている時間はない
屋内退避指示が出ている福島県南相馬市の桜井勝延市長は先週、YouTubeで「自己責任でボランティアに協力してほしい」と訴えた。同市は公式にはボランティア受け入れを「自粛」しているが、現実には在宅高齢者の安否確認などに人手が足りず、知人などを「説得」して動員している。桜井市長が世界に救いを求めたのも、受け入れ体制は整わなくても「来てほしい」という本音の表れだ。
震災から3週間が過ぎ、交通網も整い始め、緊急支援から復興支援に移った地域も多い。緊急時に行くべきだったのだから、今はなおさらどんどん行くべきだと、渥美は言う。