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2009.09.16

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東京のストリートは看板の洪水だ

路上に一歩出ると、どこを向いても看板や標識だらけ。そこにあふれる個性的な文字は、東京人の内に秘めた情熱の表れだ

2009年9月16日(水)10時59分
マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)

 東京には文字が氾濫している。広告あり、標識あり、警告あり。どこに目を向けてもメッセージだらけだ。日本文化は静けさを尊ぶとされるが、東京の街は驚くほど騒々しい。

 香港など他のアジアの都市にも派手な看板がひしめいているが、東京の特徴は文字の多さだ。実に多様な場所に掲示された、実に多様なメッセージ。それらは情報伝達の重要なインフラであり、東京という都市の顔でもある。

 平均的な東京人が街で1日に目にする文字は、ロンドンなら図書館、ニューヨークなら新聞スタンドでなければ目にできないほどの量だ。ニューヨークやロンドンなど外国の都市にも、広告業者や落書きアーティストはいる。だが、公共の場は比較的静かだ。

 それに比べて、東京の街は実に雄弁だ。東京で1日過ごせば、小説を1冊読んだのと同じくらいの言葉に出合える。

 絶えず襲ってくる言葉の奔流に、目を背けて対抗する東京人は多い。それと同じくらい多いのが、言葉に言葉で対抗する人たち。本や雑誌を読んだり、携帯電話でメールを送って自分も言葉の流れをつくり出す。

 だがもっと多いのは、流れに身を任せ、目に飛び込んでくる文字をつれづれに読む人たちだ。

 東京では、夜空に輝く星座のように言葉が空間を彩る。新宿の歌舞伎町では、飲食店が派手な宣伝文句で窓を飾りたてている。銀座の古ぼけたビルの壁には、テナントの小ぶりな看板が縦に連なっている。

パチンコ店の看板が表す深層心理

 閑静な住宅地でも、電柱には病院やそば屋の位置を矢印で示した看板が掲げられている。

 郊外の駅の周辺のフェンスや歩道でも、パチンコ店や地元のバーの看板が目につく。こうした看板には、派手な色やデザインの文字で宣伝文句が記されている。奇妙なことに、葬儀場の案内にも同じような看板が使われるが、こちらの文字は黒い毛筆体だ。

 この二つの対照的な看板は、道順を示すと同時に、人間心理の深層を指し示している。心の奥底では、欲望や死者への畏敬など混沌とした感情が渦巻いている。

 いま東京に次々に誕生している再開発地区には、こうした看板があまりない。再開発地区にどこかよそよそしい雰囲気があるのはそのためだろう。新しい高層ビルは、ロビーの小さな掲示板に文字を閉じ込めている。きちんと管理されたその文字は、強制的に飼い慣らされたように見える。

 顔を引っぱたくような強引さ、気をそそるささやき、思わせぶりなニュアンス。そんな要素をはぎ取られた文字からは、感情をかきたてる力がほとんど感じられない。

 一方で、誇らしげに文字を掲げた街もある。単なる宣伝ではなく、都市のアートと呼べそうな文字も多い。いい例が、イタリア料理店のチョークで書かれたメニューや、美容院の窓を飾る凝った書体だ。安さや手軽さを売りものにする牛丼店やコンビニエンスストアでさえ、店を彩る文字には独自のスタイルがある。

 文字は要求や脅迫を突きつけ、注目を求める。さまざまな感情をかきたてるが、その根底にあるのは文字そのものへの人々の愛着だ。看板は東京人の見せかけの冷淡さを補うものであり、東京人の内に秘めた情熱の表れと言っていい。

 これほど豊富な文字表現は、実用的な目的だけから生まれたものではないだろう。日本には書を愛し、尊ぶ、豊かな文化がある。

 東京は気まぐれに衣装を替えるたびに、看板というアクセサリーで丁寧に自分を飾る。ときにルーズに、ときには美しく。あるいは不快に、こっけいに。東京は、言葉にラッピングされた特別な贈り物だ。           

<Profile>
Michael Pronko マイケル・プロンコ
60年、米カンザスシティー生まれ。明治学院大学教授。専門はアメリカ文学と文化。近著に『僕、ニッポンの味方です』(メディアファクトリー)。長年英語を教えてきた経験から、英語と日本人の関係を考えるエッセーをサイトで公開している。
http://www.essayengjp.com/

[2003年12月 3日号掲載]

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